ダイレクトに本質につながる信仰

我欲にまみれながら修羅のように生きていたときも、ひたすら救済を求めてすがっていたときも、思うように望みが叶わなくて天に唾吐き、背を向けたとき

猪突「妄」進

あらゆる行も、その人自身の在り様の基盤の上に成立するもので、だからこそ「道」となり得るのでしょう。日本文化の「道」というのは本当に奥深く、そ

己の分限を果たす

自分自身を生きることにコミットメントするほどに力が湧いてきて、同時に自分を越えた大きなものの一部になって行く。今まで出会ってきたものすごくパ

人生の真実の在り処

人間、些細なことから大きなことまで、個人差はあるにせよ、注意深く見て行くと、結構、この浮足立った状態に頻繁になっていることに気づくでしょう。

思い出せたことの恩寵

しばしば人生は、本当にその人の血肉となるように、苦しい道を通過するようプログラムすることがあります。迷いと不安、絶望を通り抜けてはじめて、確

信仰について思うこと

日本人は無宗教とはよく言われますが、無信仰ではないと思うのですよね。あまりにも自然な感性故に気づきにくいですが、そのくらい、私たちの日常には

生きるに値する人生

自分はここにいて良いのだろうか?生きている価値があるのだろうか?と思ってしまうこともあるかもしれませんが、そんな証明を求めなくても、既に今、

隻手音声(せきしゅおんじょう)

これは、白隠禅師が創案したもので、両手を打ち合わせると音がするが、片手にはどんな音があるか、という問いです。普通に考えれば片手で音がするはず

本質を求める感性

型や教えは大切なものですが、それ自体を崇め奉るのは、ちょっと違うのかな、と思います。全くの枠組みだけにしか意識及ばず、それが指し示しているも

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