「鏡」を見つめて核心の痛みを見出す
暮れからこのお正月にかけて、小さなことだけれど母との関係でイラッと来ることがいくつか重なり、何となく晴れ晴れとしない気持ちで過ごしていました
暮れからこのお正月にかけて、小さなことだけれど母との関係でイラッと来ることがいくつか重なり、何となく晴れ晴れとしない気持ちで過ごしていました
「自分自身に向き合う」というのは、この自身の真実に対して、どれだけ勇気をもって直視できるか、という取り組みであり、問いかけなのです。相手に対
ワークががっちりとはまってしまって一歩も進まないというときは、常に被害者・加害者、アイツと私、恐ろしい痛みの感情とそれを受け止めなければなら
人間関係で、多くの方が多かれ少なかれ「分かり合えない」という体験をしているだろうと思います。お互いに良かれと思ってやっていることがかみ合わな
正当性というポジションを手放せないと、相手とニュートラルな視点で対話をすることができません。正当性が自分にあるのなら、当然相手は間違っている
気づいてしまうのが恐い、という方。自分の中に、相手と同じ要素があることに気づいてしまうことは、どうならないようにと頑張ってきたこれまでの自分
人間関係のわだかまりで多分一番多いのではないかと思うのが、「分かってもらえない」というテーマではないかと思います。親子間に始まり友人、夫婦、
セッションなど、多くの方の口から聞かれる共通した言葉がいくつかあります。その一つが、「私なんていない方がいい」「私には居場所がない」といった
私たちは、自分自身の内に在っては都合の悪いものをしばしば拒絶しますが、拒絶されたものは外側に投影されて見せられることがよくあります。たとえば
私たちは何か不快なことが起こると、しばしばその原因となった相手を蔑んだり、見下したりして自分の気持ちを収めることがあります。けれどこれは心に