容易く境界線を踏み越えられる人
自分のことに責任を持つ、ということはそこで避けようとしている気持ちを自分でしっかり受け止めることでもあるのです。それができれば、咄嗟に責任転
自分のことに責任を持つ、ということはそこで避けようとしている気持ちを自分でしっかり受け止めることでもあるのです。それができれば、咄嗟に責任転
今自分が満たされておらず、幸せでないのは、そういう条件を満たしていないからではないということを本当に深く受け止めなければ、このネガティブスパ
決めて宣言してるはずなのに、決め切っていない自分に気づいたり、ね。そういう自分だから、その現実なんです。違う現実に生きたければ、そうではない
こんな苦しみの責任をなぜ自分が引き受けなければならないのか?この苦しみは、あいつらがもたらしたものだというのに!ヤツラは悪で、健気な私は悪く
自分が被害者になって、「あいつのせいで!」と相手を責めるほどに、自分自身は無力で惨めになっていきます。自分には、自身を幸せにしていくだけの力
どんなテーマでもそうなのですが、そうした出来事が起こったということは、様々な要素がそれを支えています。それらの要素が残っている限り、また同じ
ただ、相手に背負い、埋めてほしかったものを自分で引き受ければいいのです。それは、誰かが責任を引き受けるべきものではありません。自分で受け止め
頭で納得させて割り切るのは単に蓋をしているだけで完了させたことにはならないのです。
道は必ず続いています。ただ、その先に続く扉がまだ見つけられていないだけ。その扉は必ずどこかにあるので、「ある」という前提で必死で扉を探すので
責任逃避の要素が強い場合は、そこを転換するとその在り方に関連する様々要素が根こそぎひっくり返っていくので、方向転換するのに結構エネルギーが必