背信の種
冬至を前に、心の奥のもやもやが浮上してきている今日この頃。それでも、この程度のもので済んでいるというのは、有難いというべきか。
冬至を前に、心の奥のもやもやが浮上してきている今日この頃。それでも、この程度のもので済んでいるというのは、有難いというべきか。
他者に向ける眼差しは、自分自身に向ける眼差しでもあるのです。どうにも受け入れがたく、心乱される存在に出会った時は、まさに自分の中にある、その
やらされた感満載で、嫌々仕方がないからやるということほど、自身のエネルギーを殺ぐことはありませんからね。自分の学びは、自分でカリキュラムを作
相手の意識に入って相手の痛みを受け止めるのは、相手のものと思えて、それは実は自分自身の痛みが相手を「鏡」として映しているものだからです。だか
可哀想な被害者でいた方が、ズルくて卑怯な加害者の自分を認めるよりも、マシだと多くの方は思うようです。でも、被害者でいるには加害者が必要です。
なぜ人はこんなにも弱くなり得るのでしょうか。自分が助かりたいが故に仲間を裏切ったり騙したり、陥れたり濡れ衣を着せたり、そして罪を逃れたくて逃