被害者で居たい人の「都合」
誰かを責め続けること、自分が被害者である方が、実は都合が良いというケースも良くあります。見たくないものを見ないで済むし、自分を幸せにする努力
誰かを責め続けること、自分が被害者である方が、実は都合が良いというケースも良くあります。見たくないものを見ないで済むし、自分を幸せにする努力
普通に考えたら被害者になることは苦しみを背負うことでもありますから、避けたい状況のはずです。でも、本人の顕在意識とは別に、自らそういう状況を
被害者で居続けたい人は、常にあらゆる場面で加害者を必要とします。時には、さっきまで蜜月の関係であった「大切な人」でさえ、次の瞬間には「私を傷
私は淋しくて悲しい。本当はもっと抱きしめてほしかった。そんな言葉が言えずに、心の奥でしこりになっている人がたくさんいます。それは言っちゃいけ
いかに表面的な体裁に固執することが虚しくより大きな苦しみの根になっていくのかが嫌というほどわかります。口先では、「そんなの関係ねーよ」とか「
可哀想な被害者でいた方が、ズルくて卑怯な加害者の自分を認めるよりも、マシだと多くの方は思うようです。でも、被害者でいるには加害者が必要です。
今、あなたが被害者として体験しているその苦しみが、加害者としてあなたがどこかで誰かに与えた苦しみとイコールです。防御で凝り固まった心では、こ
自責の念やうしろめたさは、自身が果たしていない責任があるというサインです。自分が何から逃げているのか。逃げ続ける苦しみから逃れる方法は、逃げ
「良くない」側面を否定し、変えることで幸せになろうとするやり方もまだまだ見かけますが、その試みはうまくいきません。徹底的に拒絶するほど、自分
瞬間瞬間、被害者であることを選択するほどに、ますます無力で惨めで恨めしく、悲しく絶望を味わうでしょう。自身の現実を創造するパワーを、殊更に自