自身を切り刻むより在るがままを生きる強さを
いずれにせよ、すんなりと悲しいとか悔しい、恐い、辛い、怒っているなどの表現が出てこないということは、そこに何かしらの抑圧があるということです
いずれにせよ、すんなりと悲しいとか悔しい、恐い、辛い、怒っているなどの表現が出てこないということは、そこに何かしらの抑圧があるということです
そう、結局は自分自身なんです。けれど、私たちの普段の意識では、そうじゃないことが多いでしょう。あの人がこうだから、状況がこんなだから、なんて
本当に本当に自分の人生を自身で引き受けて行くとき、あなたは本当の自由と、自身の人生を生きている実感を取り戻していくでしょう。今、自分がどのく
苦しさや辛さは逃げているときは確かに恐ろしいものですが、踏みとどまって向き合ったとき、それまでは想像もつかないほどの自身の可能性を引き出す扉
頭で決めるのではなく、その決意が深く肚まで落ちたときに、ブレイクスルーはやってきます。決意が肚まで落ちるって、どういう状態でしょうね?頭だけ
11月お休みしていた特別講座ですが、12月復活します!今年の最後にこの年を振り返って総括し、来年の方向性をしっかりと定めて、力強く踏み出して
自分が安易に逃げたがゆえの行動で、相手にどんな気持ちを抱かせるのか。そこに思いを馳せて行動できる自分でいたいと思います。そしてまた、逃げる心
個人の意識をぐっと広げて、一なる神の一部としての自分にチューニングできたら、人生はすごく変わるのだろうな、と思います。今、この一なる神の意識
その段階に来たから、有効に使えるメソッドがあり、それはそれ以前の段階の人には有効にはならないということがあるのではないか、と思うのです。自分
「正解」は常に固定され、「決め打ち」ができるようなものではありません。自分は常に変化し続けるわけですから、その瞬間において、「正解」なのです