無力な自分という夢から覚める
自分を傷つけ、打ちのめし、抑圧できる力を相手に与えていたのは、他でもない、自分自身だったのです。そのことに気づかない内は、無力な被害者として
自分を傷つけ、打ちのめし、抑圧できる力を相手に与えていたのは、他でもない、自分自身だったのです。そのことに気づかない内は、無力な被害者として
ふりをするなんていう薄っぺらい演技ではなく、本当に自分が感じているものから自身を表現して行くことで、その表現に真の力が宿ります。そういう表現
偽の力を自分と同一視して溺れてしまうと、自身の真の力がどんどん弱くなっていくのです。偽の力に溺れているとき、人は真の力を見失い、自分から切り
本当に自分の人生を生きる気があるのか?と、逃げ道を塞いでいくにつれて、何度も、何度も問われるでしょう。この問いに、頭の都合で答えている内は、
ビジョンの中で、刀を自分の正面に中段で構えたときの、その刀身の重さが、自分の中心にす~っと抜けて、刀と自分が一体になった感じがしました。すご
ねじれた道筋の一番最初の始まりは、自分自身を見捨ていることです。だから、自分自身に帰ることでねじれたすべての糸が、正しく在るべきように戻るの
もう二度とこんな思いはしなくて済むように、自分の力なんて発揮しないで無力でいよう。と、魂のどこかで決めたんですね。だから、この人が自分の力を
チャチな自尊心は、大抵、というかほとんど恐れが裏に貼りついていて、人の心を頑なにさせます。けれど、本当の自尊心には、恐れとは違うところから始