自身の力の源に帰っていく歩み
私たちは自身の本来の力の源に触れ、繋がってくと、ただ在るだけで、満ち足りて、美しく、とても力強い存在になるのだなぁというのをまざまざとセッシ
私たちは自身の本来の力の源に触れ、繋がってくと、ただ在るだけで、満ち足りて、美しく、とても力強い存在になるのだなぁというのをまざまざとセッシ
自分では人一倍努力しているつもりだし、頑張っているのに深まっている感覚もなく思いつく限りのことをしてもダメだったのでそのテーマについてはいっ
エネルギー的なしこりができるのは、大体言い訳してるときとか、自分の正しさに固執して、差し出されたメッセージに対して心を開いてない時ですね。気
著者の笠原氏の理論を適用して改めて見てみると、中にはまるで自分が(ネガティブな意味で)普通ではないということを証明したがっているのではないか
幸せになることから逃げ続ける人は、幸せに触れることがものすごく苦しく感じます。胸が張り裂けるようにつらい。もう悲しいんだか悔しいんだかありが
核心に触れることを恐れるのは、根本的にはそれを受け止め、癒していくことすらできる自分の力を疑い、見失っているからです。だから私が見るように、
自分が何にコミットメントしているのか、面子だったり、真実だったり、自分の気持ちよりも守りたいと思っている大切な存在だったり、色々あるわけです
口先だけで私は豊かですとか愛ですと唱えるのもその人の内面的な構造自体が変わらないなら、あんまり意味がないのではないでしょうか。それでうまくい
進むにせよ留まるにせよ、いずれも正しいとか間違いはありません。ただ、問いを前にして、自分としてはどうする?ってことを「明確に選択する」わけで
エネルギーが詰まっているところと言うのは、基本的に、詰まらせることで自分を守っているんですね。なにか、痛みがあるからぐっと縮こまって、それ以