「自分の軸」について
何事も、取ってつけたようなイメージは薄っぺらくて嘘くさく感じるものです。存在全体でそれそのものを生きてこそ本物と言えるのではありませんか?あ
何事も、取ってつけたようなイメージは薄っぺらくて嘘くさく感じるものです。存在全体でそれそのものを生きてこそ本物と言えるのではありませんか?あ
地獄の業火から脱出し、完全にその出来事を癒し、完了させるには、真実を生きる、というただその一点のみが救いの道しるべになります。どんなにそれが
実際にはあったのに、「無かったこと」になってしまった出来事の影響というのは、非常に対処が難しくなります。「無い」のだから、対処するものが存在
自分を呪っている人は、世の中、世界も呪っていることが多いのですが、無意識にやっているかもしれませんが、こういう呪いって、結構効いてるんですよ
人生であまりそこまでのコミュニケーションを求めていないというのであれば、閉ざしているものをわざわざ苦労して開く必要もありません。けれど、通じ
面白いのは、長年にわたって時には人生をまたいで取り込み、構築してきたエネルギー的な構造物が、層状に蓄積しているのを見て取ることがあります。読
人物でも、清濁併せのんでなお爽やかでいる人は、どこか懐の深さと安心感を見る者に与え、相手の可能性を存分に表現させることのできるフィールドを広
私は、感情は人生の呼吸だと思っていますが、感情を感じないで抑圧していると、生命力がだんだんと落ちて、人生全体が味気なく感じるようになってしま
汚い、良くない感情と言われる感情を抑圧し、無かったことにしようとすることで、どれだけ心を病ませ、人生を複雑にしているでしょうか。心に怒りや憎
どれだけ注意深く見ても、私たちの見る力は完璧だとはだれも言い切れないはずです。にもかかわらず、そんなことはあり得ない、と答えるのは最初から決