善なるものの種を抱く
欲しがること自体は悪ではないと思いますが、何かそこに「善なるものの種」とも言うようなものが抜け落ちていると、容易に魔が忍び込んで堕ちていくで
欲しがること自体は悪ではないと思いますが、何かそこに「善なるものの種」とも言うようなものが抜け落ちていると、容易に魔が忍び込んで堕ちていくで
人生って、自分が感じたこと、考えたことの積み重ねだと思うのですが、自分の中心につながれていない人は、まず感じられていないので、地に足の着いた
いずれにせよ、すんなりと悲しいとか悔しい、恐い、辛い、怒っているなどの表現が出てこないということは、そこに何かしらの抑圧があるということです
そう、結局は自分自身なんです。けれど、私たちの普段の意識では、そうじゃないことが多いでしょう。あの人がこうだから、状況がこんなだから、なんて
いずれにせよ自分に向き合うときに大切なのは、自分が何をどう感じているのか、ということを認識する以上に、自分が何を感じられていないのか、に気づ
本当は、無防備になるほど、強く、優しく、深く、温かくなるのが人間なのかな、と思います。傷つくことすら在るがままに生きられる強さ。痛みを知るが
不幸な痛みの連鎖があるのなら、どこかで転換しなければなりません。自身の辛い感情をいかに統合するかということを知った自分から、まずそれをして行
本当に懐の深い人は、自分自身のあらゆる苦しみを、感情を、しっかりと抱きしめてきた人だと思います。深く深く、自分から逃げずに根っこを大事に育て
自分の本当の望みにふたをしないで、もう一歩二歩踏み込んで、自分の望みを汲み上げるようにしましょう。そういう望みに気づけるようになると、フッと
自分を責めたり卑下したりしていると、鏡の法則を通して、他の人から自分がしているようにされるんですね。だから、もしあなたが他の人からひどい扱い