自身の人生の責任を引き受けるということ
相手の心の奥深くの思いに触れることへの恐れから、私たちはどれだけこうした愛の触れ合いに背を向けてしまっているのだろうと、しみじみ思いました。
相手の心の奥深くの思いに触れることへの恐れから、私たちはどれだけこうした愛の触れ合いに背を向けてしまっているのだろうと、しみじみ思いました。
あなたは恐れなく、誰かや何かを愛し、そして愛されているでしょうか?女性も男性も、傷つくのが恐くて、失うのが恐くて本当は望んでいるのに、自ら遠
私たちは、自分の手に負えない「都合の悪い」部分を隔離するということを長いことやってきました。それは自分という個人においてだけではなく、社会全
今ここで苦しむ自分を置き去りにして、未来の理想ばかりに意識が行っている人をたくさん見てきました。その状態では、本当の癒しは起きません。一つ一
生きにくさの元になっているような要素は、大抵というかほぼ、恐れの反応として表れてきています。愛や信頼から表現されるものが生きにくさになること
自身の人生のあらゆる側面を受け取らねば、自分自身にも、本質なる神にも近づくことはないのでしょう。けれど、私たちは自身の人生にやって来る様々な
私たちは本来愛そのものであるってスピリチュアルではよく言われるのですが、私たちは愛を表現できないがゆえに自分自身でいられず苦しんでいるのだと
愛って、自分が出し惜しみしなければ、自身の中心からこんこんと絶えず自噴しているものなんですよね。湧きださせようとしなくても、勝手に湧き出て否
おいしそうな話が目の前にぶら下がっていたり、きらびやかなものが心を揺さぶったとしても、内からくる叡智を信頼するのかどうか。そのことを実践でき
大っ嫌い!と言い続けてきたその奥に、大好き!という思いが隠れていたり。愛してるって言えなかったがゆえに苦しんでいたわだかまりがすっと溶けて行