自身の過ちを認める苦しさ
何かものごとの歯車がかみ合わなくなってうまく行かないとき、そこには必ず、何かしらの要因があります。それがわかりやすい時もあれば、そうでない時
何かものごとの歯車がかみ合わなくなってうまく行かないとき、そこには必ず、何かしらの要因があります。それがわかりやすい時もあれば、そうでない時
人は、聖人にもなれるし、悪魔にもなれる。本当に紙一重なんですね。今回自分は大丈夫だったけれど、一歩間違ったら、闇に堕ちていたかもしれないとい
これさえあれば、大丈夫なのだと思わせて、その人が自分で自分の人生に対処して行く力をするりと奪っていきます。けれど、その人にとっては、自分の力
最初からマウント取ってくるエラそうな輩も、ほぼ100%、高次の存在ではありません。いかにも俺様は偉いんだぞ!と、尊い神様や大天使の名前を出し
心が動揺して自分を信じられなくなったり周囲の人たちとの絆に不信を抱いたりするようなときは、これはひょっとして仕掛けられた罠かも?と疑ってみる
授かった力というのは、自己満足のためのツールではないんですね。それを通して己を磨き、世に奉仕する神聖な道そのものなのです。そういう意識で力と
セッションでリーディングをしていると、しばしば、ダークサイドとの絡みのあるバイブレーションを持っていらっしゃる方に出会うことがあります。そん
他者から不当に奪ったものは、エネルギーが淀んでますます心を飢え渇かせます。それ自体が、魂にとっては毒なのです。だから、きれいに浄化して、本来
通常では感じ取れないようなものが見えた、聞こえた、感じたとか言っても、それに安易に飛びついてしまうのは非常に危険なことです。そういうサインは
自分自身の負の感情を恐れぬように。いかに醜く、モンスターのように感じても、それは自分自身の一部です。けれども、それ自体があなたの本質ではあり