今日、誰のために生きる?
知らず知らずの内に誰かに気に入られるように振る舞う。そんなこと、ないでしょうか?パートナーに、先生・生徒に、上司・部下に、親・
知らず知らずの内に誰かに気に入られるように振る舞う。そんなこと、ないでしょうか?パートナーに、先生・生徒に、上司・部下に、親・
最近は、ブログも数日分は書き溜めているので、アップされる頃にはちょっとタイムラグがあるかもしれません、という話題を一つ。。。ここ
そこそこの年月、癒しにかかわる仕事をしてきて思うのは、人間にとって健全な状態とはどういうものなのか。その人にとっての幸せってどんなものだろ
執着の基本構造としては、まず自分がお留守になっていて、意識の出張先、つまりこれが執着の対象になるわけですが、それによって、自分を支えようとし
停滞や執着、恐れの波動の乗った物を手放していくことで、自分がより軽やかなエネルギー状態になっていくというのを、身をもって体験しました。そうい
「力」には様々ありますが、お金も名誉も地位も財産も大切な存在も、全て我が所有するのではなく、内なる神にお返ししたとき、その自分は、何者であり
先祖から受け継いだ財産というのは、その人個人に帰属するものではなく、預かりものであり、それを使ってさらに自分自身を磨き、高め、世に還元する役
自分がどこまでできて、何ができていないのかを知り、全部丸投げではなくて、出来ていないところをサポートしてもらうというのが健全なんじゃないかな
執着する対象は、ときに自分を強くし、未知の可能性を引き出したりするきっかけにもなりますが、それは諸刃の剣で、自分を支えているものこそが自分を
本当の愛は、心地良いばかりではなく、自分にとってひどく不快に感じたり、厳しく感じたりすることもあります。その時はひどく辛い思いをするかもしれ