手を差し伸べるために「厳密に見る」
さっさと先に進めて楽になりたいから落ちこぼれは切り捨てる、ということを自分の内側でやっていたとしたら、あなたは誰かにそのように切り捨てられる
さっさと先に進めて楽になりたいから落ちこぼれは切り捨てる、ということを自分の内側でやっていたとしたら、あなたは誰かにそのように切り捨てられる
自身のその心の痛みを癒すには、誰のせいにもしないで自分で責任を取ることが絶対に必要です。「あなたのせいで私は傷ついた。こんな目に遭っている」
けれど、だからと言って本人の努力が全く無駄であるとか必要がないとは、私は思いません。内なる神に回帰しようとするとき、恩寵とともに在るのは確か
誰もが畏敬の念を抱かざるを得ないほどの勇者だった魂ほど、ボロボロに傷ついていることが多いのは、それだけの熾烈な戦いの歴史があったということの
自分でないものになろうと必死になるのではなく、ただ今ここに在るということから生まれてくるものを、起こるように起こさせていくことに対して、クリ
以前、私自身のワークをしていた時に、「師の圧倒的な愛に触れたら、耐えられない」という言葉が浮上してきたのですが、今回、「虎の嘯き」に自分がど
6年余り彼の教えに触れて来て、本当にシンプルなのだけれど、その神髄はどこまでも深遠で、難しい、といつも思ってしまいます。「難しい」と思うのは
もう16,7年以上前になりますからヒーラーになるずっと前ですが、ある晩の眠りに落ちる直前に、突然日本地図がビジョンで現れたことがありました。
人生のあらゆる辛さの根底にあるのは、自分の感情に適切に対処できないことからくる、切り捨てられた感情のカケラたちの絶望であるような気がします。
自身の本音を表現するには、自分自身としっかりつながっていることが不可欠です。本当はどうしたかったのか?人生のあらゆる時点で飲み込んた望みを、