「後ろめたい自分」から「誇らしい自分」へ
なぜ健全な自尊心を持てずにいるのか。それは本当のところ、弱いからでも失敗したからでも無能だからでもないんです。ものすごく大雑把にひっくるめて
なぜ健全な自尊心を持てずにいるのか。それは本当のところ、弱いからでも失敗したからでも無能だからでもないんです。ものすごく大雑把にひっくるめて
相手に変わってほしいのなら、まず自分の在り方を改めねばなりません。自分の中に浮上する、あらゆる不快な感情の責任を取ってから、結果にとらわれず
被害者と加害者の間を延々と行ったり来たりしながら、常にいつ自分がやられるか、あるいはやられる前に叩き潰すか、という行動心理の張りつめた気持ち
今まで、私が命を生きるのだと思っていたけれど、そうではなく、実は命が私を生きているのだと気づいたのです。命が、私という人生を通過し、体験して
とえその人生で誰にもそれを知られず、或いは裁かれることなく逃げ切ったとしても、誰が裁くより、自分の魂がそういう自分を絶対に忘れず、許せないの
よく「それを決めたら次はどうなるんですか?」って聞かれることがあるんですけれどね、それは、最初の扉を通った人にしか、答えは無いんです。決める
在るがままの自分を否定することは在るがままの現実を否定し、それに抵抗することでもあります。すると、自分と現実との間に分離が生まれます。これが
誰しも、こんな無力な自分で苦しみ続けたいわけではないですよね。ほんの僅かでいい。その状況の中でできることはないか。問い、そしてそれを実行して
その時に言われた言葉が時折、ワークをするとこんな風に出てきます。「お前なんてこれで十分だ!」って。その言葉の質感が、今回のワークで出てきた思
自分が無能だったら、周りは自分をいじめ、責め立てるだろうと思うのは、あなたが自分に対してそうしているからです。拒絶していた側面を受け入れるた