コンプレックスを逃げ道にする人々
本当に幸せになりたいのなら、~のせいでできない、と不用意に外部の要因が自身に影響することを許してはなりません。また、無意識にそうしている自分
本当に幸せになりたいのなら、~のせいでできない、と不用意に外部の要因が自身に影響することを許してはなりません。また、無意識にそうしている自分
自分で判断したり識別することが苦手でこれを嫌うわけです。
人とのコミュニケーションで、よく、相手が話を聞いてくれない、どうせ私が何を言っても反論されるとか、否定される、無視される、とかいう方が
幸せになってはいけないというプログラムは自分をどこかで罰している人に多いのですが、その元になっているものをきちんと完了できれば解いていくこと
無かったことにしても、傷ついた気持ちは意識しないところでいつまでも鈍い痛みを発し続け、また同じ痛みを味わうことが無いよう、注意深く人とのかか
~したい、と言うのは、まだしていないけれど、できたらいいな、というポジションをキープしているだけで、何ら具体的な行動はしていない状態です。で
狂気は、ある種の自己防衛の形、あるいは逃避の要素があるんじゃないのかな~なんて思っております。だから、どこかで意識、無意識的に狂っていよう、
不安感に飲み込まれると、お先真っ暗なイメージで人生を捉えてしまいがちです。それを真実だと信じ込んで、それに基づいてあーでもない、こーでもない
他者の行動に対しても、丸呑みするのではなく、それに違和感を感じたり嫌な感じがしたのなら、その感覚に適切に応答するのは自身の責任です。その人の
諦めてしまったら見えない扉があるのです。まだ道は続いているかもしれない、と思って粘り強く模索することで、見つけられるカギのかかっていない扉が