「できない」と「やらない」について
できなくしている主体が一体誰なのかと言うのを明らかにしないと、この状況を打開していくことはできません。こういう掘り下げの過程で、自分ではない
できなくしている主体が一体誰なのかと言うのを明らかにしないと、この状況を打開していくことはできません。こういう掘り下げの過程で、自分ではない
誰のせいにもしない。何かのせいでもない。私がそれを選んだから、私はその現実を生きる。ただそれだけのことなんです。自分で引き受けることが嫌なの
この自分はダメだから変えればいい、というものではないのです。この自分が一体何をしているのか、そこに本当に気づけば、変えようとしなくても一瞬で
その辛さは自分の一番弱いところを突かれているからなんだって捉えてみると、ちょっと見え方が変わってくるかもしれません。だから、全部がダメな自分
道は必ず続いています。ただ、その先に続く扉がまだ見つけられていないだけ。その扉は必ずどこかにあるので、「ある」という前提で必死で扉を探すので
「できない」状態であってはならないから、自分がそうであるなんてことは許せない。でも現実はできていない。となるとどうするかというと、エゴは「で
やりたいことを、本当は意味もなく先延ばしにすることが癖になっていますが、それをするとどんどんエネルギーが澱んできますね。できないことの理由を
できないでいるのは、ある意味「できないでいることを自分で選んでいる」わけなので、もしそれができるようになってしまったとしたら、どうなるだろう
ワークは常に破壊と創造の繰り返しです。積み上げてきたどんな成果もプライドも、根底から破壊され、その灰塵から全く違った新たな自分が生まれてくる