痛みからの復活
どんな体験も、未消化にせず抑圧して拒否せずに丸ごと体験して自分を通過させれば、ちゃんと去っていきます。そして、そこからまた一歩踏み出す力も湧
偽りの自分を脱ぎ捨てて、本当の「私」に帰る場所
どんな体験も、未消化にせず抑圧して拒否せずに丸ごと体験して自分を通過させれば、ちゃんと去っていきます。そして、そこからまた一歩踏み出す力も湧
そのオタオタしている自分から離れたとき、突然、今まで漠然と自分とはこういうものと思っていた範囲をはるかに超えたところでピントが合いました。右
「ねばならない」「こうすべき」というところをいくら実践していても、多分その方向性では本当に自分の人生を見出すことはできないんだろうと思います
自責の念やうしろめたさは、自身が果たしていない責任があるというサインです。自分が何から逃げているのか。逃げ続ける苦しみから逃れる方法は、逃げ
何をどうしたら誠実だと言えるのか。どうやったらそういう誠実さを体現できるのか。手っ取り早く答えをインストールしてどうにかしようとするのだけで
今日は読者の方から、どうして相手がこんな言動をするのかわからないので、ぜひシェアしてブログで書いてほしいとのご要望を受けたのでこれについて書
どんな感情も、責任を持った方法でなら、表現される正当な権利があるのです。感情を表現する力を、取り戻しましょう。それは、命を生きることそのもの
抑圧しているのなら、なぜそうしているのか。もし抑圧しなかったなら、自分は何をしでかしてしまうのか。どんなことが起こりそうか、など問うていきま
無意識の人というのはこれほどまでに輝きがなく空間をぼやかせるものなのかと思いました。意識に満ちた人のいる空間は、ピタッと引き締まって澄んでい
在るがままの愚鈍さを否定したので、拒絶したものが差し戻されてきているわけですね。愚鈍さを責め、変えようとするのではなく、本人の生きる力を信頼