あまりにも深い傷への恐れ
セッション中でも、今はあまり相手の感情に反応することはほぼなくなっているのですが、以前はまだ何かしらの感情が起こってくることがありました。で
セッション中でも、今はあまり相手の感情に反応することはほぼなくなっているのですが、以前はまだ何かしらの感情が起こってくることがありました。で
人によって、人生の谷や山の時期はそれぞれあるでしょうが、どんなに辛い時期も、今、息ができるんだったらそれだけしてればいいからとにかく生きてい
そういう状況の中で、少しでも自分を支える力を、普段の積み重ねの中で養っていきたいものです。こういう力は、頭だけでは難しいですね。もちろん、何
でも本人はボーっとしていて自覚がないので、その状態が結構心地よく居着いてしまって、なかなか離れようとしません。ぬるま湯につかっている、という
つまり、自分の軸が取れていない状態で何か目先の理想像を実現しようとすれば、自ずから断片的な自分の切れ端を部分部分、力技でコントロールしようと
このとき相手に見ているその反応は、実は、あなたが自分自身に対して取っている態度にイコールなのです。つまり、相手が話をまともに受け取ってくれず
私は、どんな方のセッションをするときにも、その方の中で湧き出している感情のエネルギーをその方自身が受け止められない、ということはあり得ない、
節目を大切にすることは、そうした死と再生を繰り返して続いていく永遠の命を大切にすることでもあると私は思います。古来、私たちの祖先は、そういう
内側ではもう限界なのに、強がって平気な振りをする方は、自分の弱いところを人から責められたりからかわれたりした経験があると思います。親の教育で
自分自身の内に湧き上がるものから逃げずに、肚を決めて引き受けること。出来事など外側のものにどれだけ向き合えるかは、すなわち自分の内側をどれだ