内なる声を聴くことへの恐れ
自分に向き合う、と言っても、ただずるずるととりとめのない考えで頭を埋めることではないし、収まりのつかない感情にどっぷりと浸りきることでもあり
自分に向き合う、と言っても、ただずるずるととりとめのない考えで頭を埋めることではないし、収まりのつかない感情にどっぷりと浸りきることでもあり
神を概念としてしかとらえられない意識ではなくて、本当にそこにいる存在として、ご利益をくれる存在として一方的に言いたいことだけ言って帰っていく
その存在理由を存分に果たすには、純粋に自分自身であること、がとても大事。でも、人間として様々なかかわりを持ちながら生きているわけですから、こ
私たちは、まだまだ自分について知らないだけで、たくさんの未開発の可能性を持っているんだな~としみじみ思います。ものすごく練習を積まなければい
周囲に比べて早いとか遅いとか、人と違うことを焦るのはナンセンスです。種が芽吹くタイミング、花が咲き実が成り、それが熟するタイミングがそれ自体
「私は持っている。得たのだ」と思っていたものは、実は最初から持ってはいなかったし、得てはいなかったのだと思います。元々なかったものを「ある」
いかなる状況においても、自分自身を否定しないこと。在るがままに認め、受け止めてその自分に応答し続けていくことで、私たちはこの命を生きていくこ
一方的に我儘ばかり言う人や、反対に自分の思いを極端に抑圧する人は、相手がちゃんと見られていないと思います。相手が思うようにならないと嫌なので
自分の幸せの在り様は、自分で見つけるしかありません。そして、その幸せを感じる自分を、絶対的に疑ってはならないのです。自分がおかしいのではない
カルマにも、取り組むべきタイミングがあり、解消できるタイミングがあります。これは一体、どんなカルマだったのだろう。じっとその箇所と対話してい