自分の後ろ姿を見るための鏡
今日は、最近自分に起こったことからの気づきについての徒然です。自分に向き合い、観察していると、自分ってもうちょっとマシな人間だと思
今日は、最近自分に起こったことからの気づきについての徒然です。自分に向き合い、観察していると、自分ってもうちょっとマシな人間だと思
問うことで、私たちは解を探そうとします。問わなければ、そうなんだ、で終わりです。何だか良くわからないけれど、そういうものなんだと納得させてそ
核心に触れることを恐れるのは、根本的にはそれを受け止め、癒していくことすらできる自分の力を疑い、見失っているからです。だから私が見るように、
何故にそのような状態になったのか、その結果の種となるものをしっかりと処理しなければいけません。そうして初めて、学びが自分の血肉となって生きて
ずっとずっと、誰かや何かに駆り立てられながら、心を亡くして必死で生きてきたこれまでを振り返って、もうそういう生き方をやめてもいいかな、という
先日のブログでも書かせていただいたように、それなりの品物には常にそれを所有する者への問いかけがあります。このお数珠を手にして見て感じるのはや
優れた、それなりの質のアイテムであれば、そこには必ず自分に対しての問いかけがあります。それにどう応えていくのかによって、自分の中の可能性が引
お金のために自分が辛くても我慢させる、無理をするとか言う在り方自体、お金に自分を服従させ、お金は自分より上の立場だってインプットしているよう
私自身も苦手は一杯ありますが、そういう意識のほとんどは、実はただの思い込みで、上手に超えていくやり方というのがわかればそれほど大変なことでも
欲望、それ自体が悪いとか良いとかではない。欲望を観察することほど、人間という存在を知る良い教材はない。欲望の醜悪なドロドロしたところも、激し