肉体を持って生きることの喜び
肉体とともに生きるのは、確かにメンテナンスが大変だし無理がきかないし、丁寧に対話していかないと反乱起こすわで面倒なことしきりですが、でも、こ
肉体とともに生きるのは、確かにメンテナンスが大変だし無理がきかないし、丁寧に対話していかないと反乱起こすわで面倒なことしきりですが、でも、こ
過去もそうですが、未来も同じで、いつか思い描いている未来によって自分を支えているところもあると思います。それも止めて、ただこの瞬間に何が起こ
自分の行動において、最終的な決断の責任は誰がどう言ったとしても、自分自身です。これ、今ではすごく意識しているところなのですが、以前は全く認識
最高最善に、真っ当に導かれるよう祈りながら、すぐに結果が出なくても腐らず、苦しみを責任転嫁しないでひたすら自らのものとして消化、昇華させてい
自国と他国を健全に識別し、(差別ではないですよ)日本というアイデンティティに基づいた軸(国家観)を持っていないということは、致命的な国家存亡
現代社会は、そんな風に生涯かけて探求していく何かよりも、目先パッとした結果を出すことを求められることが多いように思いますが、そういうものの多
人って、多かれ少なかれ思い出によって支えられているところがあるんじゃないでしょうか。そういう思い出が、自分のアイデンティティを構成する一つの
自身の現実から逃げるから、生きる力、この瞬間を乗り切っていく力が湧いてこないのです。そうではなく、自分の人生に戻って、肚を決めてこの現実を受
どんなに五里霧中を行くような歩みであろうとも、誰かに助けてほしくても、自分で自身の道を切り開くプロセスなく得られるものではないんですね。どこ
終わることは、なくなることではなく、永遠の循環の一部なのです。なくなるように見えて、新たに始まったものの中に、ちゃんと生きているんですね。だ