相手を批判することで目いっぱいの人々
自分の立場がいかに正当で相手がいかにひどいものかを主張することに目いっぱいで、相手の立場を慮る視野など皆無なのだよな、とふと思いました。
自分の立場がいかに正当で相手がいかにひどいものかを主張することに目いっぱいで、相手の立場を慮る視野など皆無なのだよな、とふと思いました。
被害者で居続けたい人は、常にあらゆる場面で加害者を必要とします。時には、さっきまで蜜月の関係であった「大切な人」でさえ、次の瞬間には「私を傷
あなたが心のどこかでどうせ誰もわかってはくれないとか私は必ず捨てられる、置いていかれるとか誰も信用できないとか言う思いを持っているとしたら、
やっていくほどに「対処不能なモンスター」と言うような感情に対する恐れはなくなっていきますし、感情の質感も、すごく違ってくると思います。ただ、
頑として「あれは自分ではない」と分離していたものを「まさに自分である」と統合していったとき、その人の中でものすごく大きな変容が起こります。そ
相手に向き合うことの中で、自分自身の内に生じる狂おしいほどの苦しさ、不安、荒れ狂う諸々の感情に翻弄されたとしてもなお、そういう自分を見つめ続
よく、在るがままの自分でいいんだって言う言葉がありますけれど、本当にその言葉の状態を体現するには、自分がどれだけ自分を拒絶し、分離していたの
自分に不信感を抱き、背を向けている人ほど、人生を生きる力と切り離されてしまっているので無力感に苛まれ、孤独と卑屈さがないまぜになったような表
何が本当に相手のためになることなのか、目先の甘言でお茶を濁すのは自分の弱さ以外の何物でもありません。自分が嫌われたくないから、失いたくないか
人生が苦しいのは、自分が逃げているからだし、力がないのも、自分が人生を放り出しているからです。生きる力は、自身の人生を本当に引き受けたときに