恐怖に対峙する
相手がどれほど自分を圧倒するような強大な存在に見えたとしても、結局、対峙する時は、いかに自分が自身の恐れを制するかということなんだと思います
相手がどれほど自分を圧倒するような強大な存在に見えたとしても、結局、対峙する時は、いかに自分が自身の恐れを制するかということなんだと思います
あるものを無いといい、すごく辛かったのに、そんな自分の感覚を疑い、否定する行為は、著しく自分の尊厳を傷つけます。こういうことを自分にしている
一つの出来事だけではとてもそんなバカげた判断に至るはずもないはずですが、少しずつ不安や疑心暗鬼の種を知らず知らずの内に心に蒔かれ、それが芽吹
自分が今、どうすべきなのかを教えてくれるのは、今この瞬間、自分が何を感じているか、です。その感覚と注意深く対話し、応答することで人生の奥深い
心地良いばかりが導きとは限りません。自分を守るために退避することがあっても、自分自身からは逃げないように。そうすれば、正しい道を歩めます。苦
本当の願いが叶えられていないというこの思いを長いことはぐらかして来ていたので、様々なボタンの掛け違いが人生のあちこちで起こっていたのでしょう
自分が深く恨みに思うような出来事があったと思っていたけれど、そんな事実は無かったのだとしたら、その恨み自体が意味の無いことです。被害者意識に
その迷い、その不安、その焦り、混乱をそのまま引き受けて、じっと甘受するのみがその時やるべきことだったりする時があります。どれだけ答えを探し回
「力」には様々ありますが、お金も名誉も地位も財産も大切な存在も、全て我が所有するのではなく、内なる神にお返ししたとき、その自分は、何者であり
セッションで良く感じるのは、人は、自分が思った通りのものになる、ということで、自分が悪人だと思えば悪人に、美人だと思えば美人に、被害者だと思