自身の力の源に帰っていく歩み
私たちは自身の本来の力の源に触れ、繋がってくと、ただ在るだけで、満ち足りて、美しく、とても力強い存在になるのだなぁというのをまざまざとセッシ
私たちは自身の本来の力の源に触れ、繋がってくと、ただ在るだけで、満ち足りて、美しく、とても力強い存在になるのだなぁというのをまざまざとセッシ
その方の、峻烈なまでの孤独な歩みの丹精の賜物が、惜しみなく自分に注がれていた事実に触れた時、それまでの己の幼さ、未熟さゆえの誤解が一瞬のうち
ダークサイドの力と対峙して感じたのは、奴らが見せる、世にも恐ろしい諸々のビジョンは、幻想だということ。奴らが私たちの「幻想を見る力」を利用し
いかに生き、どう在るか。死のそのギリギリの瞬間まで、向き合い、問うべきはそこなんです。その死闘の中で、つかみ取ったものが肉体が滅びてもなお、
人生には、選択肢がたくさんあるようでいて、実はその時の自分に選択できる選択肢はあまりないのかもしれません。だからこそ、恩寵に触れる機会のあっ
自分の歩みが正しいのか、そうでないのかは旅の途上で出会う人たちが教えてくれます。彼らが伝えてくれる率直な言葉が、そっちじゃないぞ!とか、間違
人間としてこの世界で様々な人たちと出会って、ときに親愛の情を育み、切磋琢磨し、蜜月を過ごし、また時には被害者加害者として人生のある時期を共に
自分ではいかんともしがたいことってありますよね。どうにも越えられないことが。そんなとき、私はよくクライアントさんにも祈りとともにワークしてく
それはそれで何の問題もなく、宇宙の完全なる調和の中にあるのだとしたら。それを認めるのは私にはかなり抵抗がありましたが、自分の未熟さへの言い訳
もうこれ以上何もないからこそ、なみなみと満たされるものがやってくることもあります。もう本当に自分ではどうにもできないからこそ、自分を超えた力