愛を失うことへの恐れについて
自分の気持ちも、相手の気持ちも逃げることなく受け止めていれば、たとえ相手が自分の願うようではなかったとしても、それによって自分がショックを受
自分の気持ちも、相手の気持ちも逃げることなく受け止めていれば、たとえ相手が自分の願うようではなかったとしても、それによって自分がショックを受
そうなりたい、と言うのであれば、今はそうなってはいないということだし、愛されたい、と言うのであれば、今は愛されている実感がないということです
すり替えた怒りの対象ではなく、本当に怒っていた対象は誰なのか、何なのかを的確に探り当てることはとても大切なことなのです。ではなぜ私たちは怒り
多くの人が、色々な恐れから感情を生きることを拒み、抑圧して抱え込むことで今を乗り切ろうとします。そうしなければ、生きてこられなかった時期も確
理想とは程遠い自分を責めることなく受容していこうと思うのかどうか。自己憐憫や被害者意識に飲み込まれている方は、確実に責任転嫁の傾向があります
相手の心の奥深くの思いに触れることへの恐れから、私たちはどれだけこうした愛の触れ合いに背を向けてしまっているのだろうと、しみじみ思いました。
人は、自分で自身の責任を引き受けたとき、本当に他者を愛し、他者から愛されることができるようになります。本当に愛の関係を築くことができるのは、
意識の集中を絶やさずに一定の密度と質を保てることの恩恵は計り知れないな、と思うのです。意識が飛ばない、限界ギリギリのところ、刀身の上を辿るよ
いつまでも恐れの殻を抜け出せない人はどこかで責任転嫁をしています。恐れがあるから進めないのではなく、恐れを握りしめているのは自分なのです。そ
伝えることは、相手に対する責任を果たすことでもありますが、何よりも自分自身への責任を果たすことでもあります。伝えることを恐れている自分を意識