恩寵の海の中にいて

不満に思ってしまうことの奥に、何を見るか。こじつけで、無理やりこれで良かったんだと思い込むための言い訳ではなく、本当にその恩寵に触れることが

無記

黙するしかなかったお釈迦様も、きっとこういう状態だったのかなと思って、この「無記」という言葉が浮かびました。是と答えても、否と答えても、相手

霊性の深まりを求めるということ

私たちの存在は、どんな学びから入っても、突き詰めていけば、必ずスピリチュアリティ(霊性)を避けては通れません。芸術もスポーツも文学も、あらゆ

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