先日、ようやく旧サイトのサーバー契約を
解消しまして、契約の都合上、
4月30日までは残るようですが、
旧サイトでのブログの更新はなくなります。
ご了承くださいませ。
さて。
季節は巡り、節目を迎えて
私自身ももう一段、次の段階に進んでいこうと
まだ使えていない奥深くの領域に意識を凝らして
自身のエッジを見つめています。
ちょっと前までは認識すらできなかった
領域なのだけれど、じ~っと意識を凝らしていたら、
何となく捉えられるようになってきて、
まだまだ可能性を秘めた力が
眠っている模様。
ここを自在に使いこなせるようになったら、
私のヒーリングはどんな風に変わっていくだろう。
その働きかけはもっと違った質のものに
なっていくのだろうし、もっとショートカット
できる部分も出てくるのかもしれません。
今は対応できないところにも、
もう少しアプローチできるように
なるかもしれません。
自分の限界を見つめながら、
その先にじっと意識を凝らすのは、
私にとってはなかなかに興味深く、
エキサイティングな作業です。
今の自分にはできないということを
知ることが、次に自分が何をすべきなのか、
どんな方向に進んだらいいのか、
どんな可能性があるのかを明らかにしてくれます。
「できない」ということの裏には「できる」
という可能性が必ず表裏で存在していて、
表を見ることで、まだ顕在していない
裏の可能性に気づくことが出来ます。
だから、限界を知るということは、
限界を超えた可能性を知ることと
同義なのです。
その裏の可能性に気づいたら、
いかにそれを体現できるか、
達成に向けた道の構築が始まります。
障害があるのなら、それを取り除く
算段をすれば良いのだし、
何かが足りないのなら、補うような
道筋を作ればいい。
実現の可能性に触れたところから
道を作るようにすると、それは驚くほど
創造的に為すべきことがするすると為され、
問題と見えたものは解決されていきます。
私たちはしばしば、問題にぶつかると、
とてつもない壁のように感じて、
越えようという気力が失せたり、
クリエイティブな力がしぼんでしまって、
ドツボにはまっていくことがあります。
壁を越えたところにイメージが
全く湧かないんですね。
その状態だとなかなか難しいので、
どうにかして、先にできるという可能性に
触れる意識が大事になります。
どうやって壁を越えるのかは、
壁を越えたビジョンからやってきます。
だから、壁の手前で唸っているところからだと、
越えられない自分のキャパシティからしか
可能性を見ることが出来ないので、
なかなか有効な方法を見つけることが
できないのです。
今まだ触れたばかりの可能性の領域の力を
常に安定して使えるようになったときの自分は
何を感じて何を見ているんだろう?なんて、
ウキウキしながらヒーローになったつもりで
妄想するのも楽しいです。笑
そうなった時の自分の呼吸は、
今よりもずっと重い感覚があるとか、
纏っているエネルギーの密度が濃いとか、
色々感覚的に捉えられるようになってきます。
意識は静まりつつも深く沈み、
その濃密なエネルギー密度に耐えられる
自分はどんな呼吸をしているのか?
確かに今とは違う呼吸をしている
ということがわかる。
そうしたら、常時その呼吸ができる自分に
していくわけです。クリエイティブな作業ですね。
こんな風にして、ビジョンから
今の自分に道を下ろしていくんですね。
進むべき道は、
そのときによって、人によって違います。
如何に進むべきか。
それを知るために、自分に向き合い、
限界を見つめるんですね。
限界を知ることは、絶望と同義と捉えている
人もあるのかもしれませんが、
そんなことはありません。
壁にぶつかることで、そもそも
その壁を越える必要があるのかどうか
ということも問い直す機会になりますし、
思い描いていた道ではないけれど、
もっと別の方法を見つけるよう
促されるかもしれないし、
限界を越えていくための出会いを
求めていく中で、さらに大きく可能性を
開くきっかけに導かれるかもしれません。
限界にどう向き合うのか、
どう意味づけるのかで、
人生は随分違ってきますね。
願わくば、限界を見つめることを
クリエイティブなチャンスに
変えていかれますように。