自分と向き合うという作業には、忍耐と寛容さがとても大切なのですが、それは小さな子供に向き合い、育てていくのときっと同じなんじゃないかと思います。
私は今世では子育ての経験はありませんが、子供は大人の理屈なんて全く通用しませんし、周囲の大人たちの対応がまずければ、正直にその結果が出てきます。口先だけの約束や嘘なんかも敏感に見抜きます。そういうところは、内なる気持ちのカケラ君たちもまったく一緒です。
自分が逃げ腰だったり上の空だったりしていれば、カケラ君たちにはしっかり見抜かれてしまいます。どうやっても誤魔化しようはありません。だからこそ、本当に真摯で誠実に直面しなければ信頼関係は築けません。
そういう存在に向き合うと、自分自身の実力のほどが嫌というほど突き付けられます。クリアな鏡を見るように、時に無様で理想とは程遠い自分の姿がはっきりと見えてしまい、それでショックを受けることもあるでしょう。
自分はもうちょっとマシだと思ってたのに、こんなに実力がなく不誠実で、ズルくて嫌な人間だったんだ、と幻滅しまうのですね。自分と向き合うことが辛いという理由の一つは、こうした在りのままの自分を見てしまう辛さなのです。
それでも、今の自分の在るがままを見ることができなければ、その先はありません。理想とは程遠い自分をしっかりと受け止めたところから、その先に進む道が開けてくるからです。
無様な自分を認め、受け止め、抱きしめることができるのかどうか。それをする意思があるのかどうかがその次に問われます。
徹底的に無様な自分の側面を拒絶し、排除することで成長しようとすると、人生は自身が拒絶したものをこれでもかというほど差し出してきます。成長は、至らない自分を拒絶するのではなく、抱きしめ愛することで達成されるのですが、多くの人はこれとは反対のことをやって、余計にもがき苦しい状態にはまっています。
受け止め難い側面と向き合い、それを自身の中に統合させていくプロセスには、逃げ出したいような苦しさの中で、忍耐強く自分自身の中心を捉え続ける意識操作が要求されます。
それだけでもかなりのスキルだと思いますが、それを実現するには「慈愛」が不可欠です。頭だけでこれをすれば解放されて楽になる、苦しい状況とはさっさとおさらばしたい、と思いながらするワークでは、癒しも統合も起こらないでしょう。
これまでにこの部分については何度も繰り返しお伝えしてきていますが、「消えてなくなれ」と思いながら、自身の様々な側面を愛することはできません。
自分自身に切り捨てられ、無いことにされ、存在を抹殺され続けてきたその側面に対して、再び「消えろ」と接することがそれを癒すでしょうか?
そのような接し方は、その感情のカケラ君たちをさらに深く傷つけ、絶望の淵に落とすことにならないでしょうか。もし自分が彼らの立場であったら、どれほど悲しみ、また怒りを抱くでしょうか。
ここが本当に分かっていないと、いかに自分や他者に向き合うかということの本質を理解し、それを実践することはできないでしょう。
そもそも、そうすることの必然性さえ、感じられないと思います。
なぜあまり好ましく思えない感情や自身の側面を否定せずに受け止めることが大切なのか。抑圧し続けることがどんな結果を生み続けるのか。
他者からされた辛い仕打ちを振り返ってみて、あれを自分が自身に対してやってるのだと気づけば、それ以上に説明の必要もないでしょう。
本気で自分や他者に向き合おうとしたら、自身の内に様々な感情が浮上するのは当然です。それらをじっと受け止めつつ、相手に対峙することになりますが、それはしばしば苦しい状態だったりします。そこに踏みとどまるだけの忍耐力は、養う必要があるでしょう。
ここでよく混同されるのが、忍耐とは自分を押し殺すことだと思っている方がしばしばあるのですが、これは私が言う忍耐ではありません。ただの抑圧でしょう。
そうではなく、在るがままにその感情のエネルギーを呼吸とともに自分の身体で感じながら生きて在る状態に踏みとどまることを指します。寛容さは、この状態でさらに相手と対峙し、相手の気持ち等の背景を汲み取って受け止めるときに表れる性質です。
忍耐も寛容さも、どちらも在り方を通して体現するものです。今週は、これらの質に意識を向けて過ごしてみましょう。
というわけで今週のテーマはこちら。
自身の受け入れ難い側面に忍耐と寛容さをもって接するよう最高最善に働きかける
参加される方は、「無料遠隔ヒーリングの受け方」ご覧になり、 ご理解のうえ5月24日(水)17:00までにメールまたはメールフォームにてお申し込み下さい。 同日20:00より順次働きかけを行っていきます。