今週の無料遠隔ヒーリングは「思うようにならない現実」によって浮上するものがテーマでしたが、私自身、かなり努力しているのになかなか思うように行かないことがあって、それについて自分でリーディングしてみました。
普段、クライアントさんをリーディングするように、自分を外側から見てエネルギーを読んで、気付きを得たり上に聞いてみたりしたのです。
すると、今の私はあまりに何かに固執してしまってぎゅーっと固くなっていて、それでものごとが動かなくなっているということが見えてきました。固執しているのは恐れからですが、それがもっと弛んでいく必要がありそうです。
「恐いよ恐いよ」「だからそうならないように、自分が頑張らなくっちゃ!」「自分でどうにかしないと、苦しいことになる」といった具合に信じているので、何もかも一人で抱え込んでしまうのですね。
今は恐怖と「私が私が」という「我」で自分を支えていますが、ただ恐怖が弛むだけではなく、別の大きな流れが、恐怖という支えを失った後の自分を支えることになるので、それを自分の中に感じる感覚も必要なようです。
でも、その感覚は既にある感じがするので、恐怖への対処をして、あとは意識的にその感覚に移行するようにしていけばいいのかな、とそこまで道筋が見えてきました。
ベースとなる地運も、今のエネルギーからでもさほど大きく危機感を感じるようなものは見当たらなかったので、多分この辺りをしっかりやっていれば、「恐れ」が囁くようなことは無いのだろうな、と思えました。
それなのに、恐れは「このまま行くと、まずいことになっちゃうよ。どうにかしなくちゃ…」と絶えず囁き、私の心をざわつかせます。このざわつきが、在るがままの今この瞬間を否定し、「私はこのままじゃいけないんだ」と違う自分にならなければいけない衝動へと駆り立てるのです。
これを収めるには、駆り立てられて行動する前の、不快なざわつきのエネルギーをしっかり押さえることが大切です。
大きな流れに身を任せて生きようとするとき、私の中で決まって湧き起こる声があります。「そんなものは当てにならない。それらはどうせ、私を助けてはくれないのだから」というものです。
そしてその声が起こるとき、私の心身はぎゅ~っと固く縮こまります。かつて、そんな風に感じるような出来事を体験し、とてもショックだったり悲しい思いをしたのでしょう。
「助けてもらえなかった」という言葉を何度もつぶやいてみると、身体の奥で固まっているエネルギーの感覚が感じられました。
「あんなに神様にお願いしたのに、神様はお母さんを助けてくれなかった。そして僕はこんなに苦しい状況に居る」と、母親を亡くした少年が言っていました。
母親がいないという苦しみが、腹の底にズンと重く沈んでいるような感じです。そこには、同時に神への怒りと憎しみも感じられました。
神は、少年を助けていないわけではありませんでした。様々なものを与え続けていましたが、心を閉ざした少年にはそれが受け取れなかったり、受け取っていても気づけなかったりして、「神は自分を助けてくれない」という現実だけが見えていました。
そんな少年の様子を見せられながら、今目の前に在るものは本当にすべてが神の恩寵なのだということを改めて思いました。
私たちはしばしばそれに文句をつけ、不足ばかりを言いますが、「与えられている」という認識がすっぽりと欠落してしまうと、恩寵も神の意地悪にしか見えなくなってしまいます。
時に、神から与えられたものがとても苦しいかったり辛かったりすることもあるでしょう。この少年にとって、母の死という現実は、まさにそういうもののひとつであり、最も受け入れ難いものでした。
優しい母は、自分をいつも無条件に愛してくれる存在であり、守ってくれる心のよりどころ、少年の居場所のすべてでした。それらがすべて失われた衝撃を、受け止める術はこの少年にはなかったのです。
今、それを受け止めます。
そうしていくと、第一チャクラに貼りついていた、生存することの恐怖が剥がれて行って、これまでになくクリアで響く感じになりました。
恐怖に巻き込まれていると、母の死で自分がこの世界から取り残されたような、言いようのない分離感を感じていましたが、今この恐怖を受け止めたところ、周囲の人たちの気遣う気持ちに気づけるようになりました。
自分は独りぼっちなのではなく、地域の人たちに見守られていたのだと分かったのです。そのことに気づけたことで、母を失っても少年は幸せでした。
母にしがみついていた少年は、より大きなコミュニティに守られている感覚を得て、自分だけの限界を超えた広がりを体験することができました。これはまさに恩寵でしょう。
ここまでのワークを振り返ってみて、「神は助けてくれない」という思いを確認してみると、大分抜けているようでした。この状態で、しばらく様子を見てみることにします。