私たちは誰しも、人生を生きていれば一人や二人は許せないと思う人がいるのではないかと思います。そんな思いを抱えながら生きていくのも辛いものですが、一方でそれを手放そうにも手放しきれずに、憎しみにしがみついてしまう自分に途方に暮れることもあるのではないでしょうか。
頭でいくら「許そう」「手放して自由になろう」と思っていても、心は理屈では納得しませんから、許したと思ってもまた同じ思いが浮上してきてしまうケースが多くあります。そんな思いに蓋をしてみても、それでは抑圧になってしまいますから、適切な対処とは言えないでしょう。
こんな状態をワークする時、抑えておくべきいくつかのポイントがあるので、今日はそれについて解説してみます。
まず、「許せない」というのは思考であり、感情ではありません。
この違いを押さえておくことが案外大事なのです。なぜなら、感情解放のワークでは感情をしかと受け止め、生き切ることによってそのエネルギーを解放するのに、思考と感情の区別がつかないと、感情を生きているつもりでも感情に触れられていない状態に気づかず、ワークが空回りしてしまうからです。
誰かの行為を「許せない」と思うとき、あなたは怒っているのです。そして、怒りの奥にはとても傷ついた気持ちがあります。これをしっかりと捉えましょう。
レナードによると、怒りは「して欲しいことをしてもらえなかった」あるいは「して欲しくないことをされた」時、私たちはひどく傷ついた気持ちになりますが、この反動として起こるのが怒りの感情です。
まず、自分が怒っていること、傷ついていることに気づきましょう。中には、自分が傷ついていることを認めたくないという防御意識が働いて、それを認めたがらない方もありますが、まずは事実を認めないと、痛みを癒すことはできません。
事実を否定したとき、それによって起こった結果、つまり浮上している感情は、無かったことにされてしまうからです。存在しないものに、対処はできません。
自分があまりにも傷ついていることを認めてしまったら、立っていられなくなってしまう、泣き崩れてしまうなどと恐れるので、それを避けるために事実を否定するわけですが、避けようとしているその状態は、既にあなたの中にあるのです。
ただその自分に、深く呼吸をすることで、命のエネルギーを送ってあげましょう。
そして、自身のその心の痛みを癒すには、誰のせいにもしないで自分で責任を取ることが絶対に必要です。「あなたのせいで私は傷ついた。こんな目に遭っている」と誰かを恨み、憎み続けることで、あなたの苦しみは延々と続きます。
「許せない」という思いがなかなか手放せないのは、この「自身で自分の心の内に起こった感情の責任が取れていない」からです。
誰かのせいにすれば、自分で責任を取らなくても済むので、一時的には楽になるように思えます。けれど、その代償は、無限に続く苦しみの延長と、自身のパワー喪失、そして幸福の放棄と、決して安くはないのです。
「許せない」と思ったら、自分は感情の責任転嫁をしている、とまず頭だけでも良いので気づいてください。そして、次に問うべきなのは、「その責任を私は自分で取ることを選ぶだろうか?」という問いです。
あくまでこの質問は、「できるかできないか」ではなく、「やるのかやらないのか」のレベルの選択です。もしここで「わからない」という答えしか出てこない場合、あなたは選択することを放棄しています。
なせそうするのかというと、「私はやらない」ということを言う自分をあなた自身が拒絶している一方、「やる」という選択もしたくないという葛藤の中で、どちらも選べないために第3の道を生み出したわけです。
なぜ「私はやらない」と言えないのか。そういう自分がいかにも卑怯に思えるのか、いけないことだと自分を裁いているのかもしれません。卑怯な自分を拒絶すれば、あなたはまさに拒絶したその「卑怯な自分」になってしまいます。
そういう自分を直視することは確かに辛いですが、直視する自分は既に「卑怯な自分」ではありません。
自身がどう在りたいのか、よくよく熟考してみてください。
ちなみに、「選択することから逃げる」という選択をした場合、あなたの現実にはおそらく鏡の法則を通して、自分と同じことをしてあなたの感情を乱すような人物が現れるでしょう。あなたはその人が卑怯でだいきらいかもしれませんが、それはあなた自身の姿を映しているだけなのです。
こうして自身の内に生じた感情をある程度受け止められたら、イメージワークで相手を目の前に呼んで来て、相手の意識の中に入って見ましょう。そして、相手からあなたを見て、どのように感じるかを確かめます。
相手はなぜあなたにそのような行為をしたのでしょうか。その人をその行為に駆り立てた気持ちを捉え、相手の中に入ったまま、その感情を受け止めます。完全に受け止め切れたなら、再び相手の視点からあなたを見たとき、もうその行為を使用とは思わなくなっているでしょう。
その行為は、その人が自身の苦しい感情の責任を取れなかったが故に、苦しみをあなたに押し付けた行為だったのです。故に、感情の責任が取れれば、もう誰かに苦しみを押し付ける必要がなくなります。
こうして、謝罪が必要であれば謝罪し、それを自分が受け入れられるかどうかを確認します。本当に相手が完全に責任を取っていれば、和解が成立するでしょう。
恨み、憎しみ、呪う気持ち、狂おしいまでの嫉妬や執着なども、みな同じ構図です。
押さえるべきところをしっかり押さえて、確実にワークして行きましょう。