最近つくづく思うのですが、
やりたくないことを
自分に強要したり、
自分のペースやタイミングではない
やり方でものごとを進めなければ
いけない状況というのは、
想像以上にストレスだしメンタルを
壊すなぁと思いました。
子育てをされている親御さんは
なかなか自分のペースで生活をされる
なんてできないことだろうと
思うのですが、
だからこそ、
そういう親御さんたちをみんなで
温かく支える社会であってほしい
と思うのでした。
自分のタイミングやペースで生きられない
というのは生物としてとても不自然であり
非人間的な環境だと思いますが、
現代社会ではそれがスタンダードというか、
普通だと思われてますよね。
女性だと、生理中や妊娠中であっても
そんなのは関係なくハードワークを
こなさなければいけないとか、
本当に心も体もボロボロになります。
また性別を問わず、
人間としての生活を犠牲にして
人生の多くを仕事に捧げなければ
成り立たない状況もザラにあります。
私自身、以前の仕事では
あまり体力もなく無理の利かない体でも、
神経をすり減らして文字通り、
命を削って仕事していた気がします。
好きな仕事でもありましたし、
仕事に対して職人気質なプライドもあったので、
相当にワーカホリックに働いていました。
その仕事に就く前は、
お昼ご飯もゆっくり食べられないような
仕事になんか絶対就きたくない!
と思っていましたが、
結局縁のあったのは
そういう仕事でしたので、
因果なものです。
今では自分のペースで
それなりにやっていける仕事なので、
随分楽になったし、幸せだな
と思いますが、
別のところで、ついつい自分に
かけなくても良い負荷をかけてしまい、
気が付かない内に鬱っぽくなっていて
ハッと気づく、ということが
何度かありました。
現代社会は情報過多社会で、
いたるところに誘惑に溢れた広告や
恐れを煽る親切の顔をしたプロパガンダが
溢れていて、容易にバランスを
崩してしまいがちです。
最初はそんなの必要ない、と思っていても、
100回も目にすれば、悪くないかも?
いや、ひょっとして必要なのかも?
今やらなくちゃ、あとで困るかも!
と勘違いさせられて、
そういう情報を流す側の思惑に
知らず知らずの内にはまってしまいます。
頭ではわかっているつもりでも、
間断なくあちこちに隙あらば
差し込まれてくる仕掛けに
いつの間にやらその気にさせられ、
足元をすくわれていくんですね。
相手もプロですから、
人の心がいかにしたら動かせるのか、
知り尽くしています。
たまたま、何となく、ではないんですね。
そんな輩に、ウブな素人は何もわからず
掌の上で踊らされているのです。
嫌な見方かもしれませんけれど、
確かにこの社会の一面ではあります。
そういうのをよく知ったうえで、
情報を見て、広告に乗るのか乗らないのか、
判断できるといいですね。
とは言いつつ、やはり一流のプロの
手練手管は素晴らしいので、心地良く
乗せられてしまうのが常ですが。
いかに欲しがらせるか、
需要のないところに需要を作り出し、
自分たちが供給することで潤う。
今の世の中の経済活動は、
ほとんどがこういう原理ですね。
そうしたテクニック自体が悪い
というわけではありませんが、
そのテクニックをどういう思惑で使うのか
というところが問題です。
溢れかえる情報の中で、
本当に自分にとって必要で有用な情報に
巡り合えるような自分軸と感性、識別眼を
磨いていかなければいけませんね。
自分にとっての意義を判断するには、
自分という存在を良く知ったうえでの
軸がなければなりません。
そうでなければ、
どうやってその情報が自分の人生を
本当に豊かにするのかどうかを
識別することができるでしょうか。
自分なりの基準がないから、
容易く誰かの描いた借り物の
きれいなビジョンを移植できてしまう
のですよね。
その自分なりの基準というのも、
根の浅いものは、人生を計るに耐えうる
ものにはなりません。
ちょっとした思い付きでは、
場当たり的でふらふらして、
容易に揺さぶられて打ち捨てられるでしょう。
どうやったら根の深い自分なりの
基準軸を持てるでしょうか。
私なりに思うのは、
自分自身の内側と外側のルーツを
しっかりと統合させることかな
と思っています。
敢えて具体的には書きませんけれどね、
あなたの場合はどうでしょう?
ご自身で答えを見つけてみてください。