今日はここしばらく抱えていた思いを
吐き出したため、ちょっとトゲトゲの
エネルギーが入ってしまったかもしれません。
お嫌な方は、スルーなさってください。
最近強く思うのですが、
無理に合わない人と合わせて
関係性をつなげていく必要はもうないと
はっきりと感じた出来事がありました。
昔は感性の合わない人でも
何かしらの学びを見つけて、
共にこの世界にいる意味を
考えたりもしていましたが、
もうそのステージも終わったな、
という気がしています。
これまでも段階的に
違和感を感じる関係性を整理して
自分の立ち位置、方向性を確認する
作業をしてきましたが、
もう一段進めて、
より響く人たちとともに、
もっと自分が心地良く感じるように、
自分の生きる世界をデザインしていこう
と思いました。
もちろん、
これからも鏡の法則を使って
自分自身の在り方を改めたりすることは
続いていくでしょう。
けれど、
必要以上に自分の感性に合わない存在を
自分の領域に置いておくことは、
もうしたくないな、と思いました。
それは、ものすごく自分を傷つけるからです。
自分を大切にして生きていきたいのに、
わざわざそんな状態に自分を放置しておく
理由はないですね。
そうしようと改めて決意した背景には
もう少し別の理由もあって、
自分に合わない感性を持つ存在や
それに関するものに意識を合わせるのが
非常に難しくなっているというのがあります。
仕事のときはそういうのはないのですが、
プライベートに関する部分で
これがものすごく表れていて、
まるで違う世界線にいるような
感覚になります。
以前だったら、感性や考え方が違っても、
それらを踏まえてそれなりに合わせて
一緒に過ごすこともできましたが、
今は非常に苦痛に感じます。
特に今は別の要因も絡んで、
ハートがギューッと締め付けられ、
血の気が引くくらいに
エネルギーフィールドを傷つけるのです。
こんなのは、今までなかったことです。
世界が分岐していくということを
本当にひしひし感じています。
もちろん、いつも、これまでも
世界はずっと分岐してきたのでしょうけれど、
もう規模や質が全く違うんだろうな、と、
嵐のようなその感覚に、そう勝手に解釈しています。
この地球上で肉体を持って生きる人生の時間は
無限ではありません。
限られた時間をできる限り有効に、
幸せを生み出す時間に使っていこうと思います。
そうやって選別することで、
自分の見たいもの、欲しいものしか
見なくなるんじゃないかというお声も
確かにあるでしょう。
けれど、それの何がいけないのか?
みんな、見たいものを見、欲しいものを
手に入れたくて日々あれこれ
しているんじゃないのかな?
もし間違った道に入ってしまったのなら、
人生はちゃんとお知らせをくれます。
そういうお知らせに丁寧に耳を傾けて
応答していれば、十分じゃないかな、
という気がします。
私は、自分で自身の人生を選びます。
自分の生き方、在り方に不調和なものを
自分の領域に置いておくことは、
自身の感性を著しく鈍らせ、
生きる気力を奪っていきます。
異物が体の中に入り込んでいるのと
同じ原理ですね。
純粋に自分自身で在れ。
自分が自分として在るべきところで
在るべき姿で生きる術は、
自身の奥深くにある叡智が知っています。
私は、この叡智にこそ従います。
今にしてこの出来事を振り返ってみれば、
私は自分自身の選択を今一つ
信じ切れていないところがありました。
だから、迷い、揺さぶられたりもしたし、
そういう眼差しを向けられたりも
したのでしょう。
まさにこれは鏡です。
自分が自身に向けていた眼差しそのもの。
そんな状態だったからこそ、
人生はお知らせをよこしたのですね。
私は自分自身の内なる叡智を信じる。
こう宣言する必要があったのです。
頭ではわかっていたけれど、
実践できてませんでしたね。
この学びで気づいたことは、
選択の段階だけではなく、
自分の見るもの、触れるもの、すべてを
内なる叡智を通して感じるように、
というメッセージでした。
それを踏まえて改めて世界を見てみると、
今までとまるで世界の意味合いが
違ってきます。
今回は、思った以上に深い深い学びでした。