昨日、無料遠隔ヒーリングを働きかけた後、自分の心の底にモヤモヤしている「絶望」について、この機会にしっかり向き合ってみようとワークしてみました。ややもすると気が重いので後回しにしてしまいがちですが、やった後はそれなりにすっきり軽くなるので、やっぱり早めに取り組むのが正解なのだな、と改めて思います。
私の中で絶望を想起させるテーマはいくつかあるのですが、中でもまず最初に出てくるのが、「肉体を苛まれる絶望」です。今世でも、仕事がきつかったとき、永遠にこの苦しみが続くのではないかと思われる過酷さの中で、どうしようもない無力感と絶望に飲み込まれていた時期がありました。
それと、ワークをしていてしばしばかすかな記憶が浮上して来るのは、過去世において激しい拷問を加えられた体験です。あまりに恐すぎて、自分でやるときはかなりぼんやりとしたその場の気配が感じられるのをどうにかワークするという感じなのですが、これまでに一度だけ、それが自分の限界ギリギリまで出てきたことがありました。
それが数年前のレナードの週末ワークショップでの体験で、レナードは壇上でいつものように普通にプレゼンスについて話していて、私はかなり離れた客席に座って話を聞いているという状況でした。
突然、私のビジョンの中で、凄惨な場面が浮上してきたのです。その時は視覚ではっきり見えたわけではなく、身体の感覚の方が強かったのですが、とにかく吐き気をこらえるのに必死になるほどでした。
そんな状況になって、本当は部屋を出たかったのですが、その時の会場はぎゅうぎゅう詰めで、私は中ほどにいたので出るに出られませんでした。
どの位、自分の中で湧き上がるものと闘っていたのかは覚えていませんが、あまりに突然のことで心の準備もなく出てきた記憶に、かなり動揺したのと、色々な面でバランスを取るのが大変でした。
念のため申し上げておきますが、レナードのセミナーに参加したからといって、必ずしもこうした体験が起こるわけではありません。ただ、私の中では何らかの必然性があって出てきたものなのだろうと思っています。
とにかく、自分の魂の中にはそんな記憶も埋もれていたのかという衝撃とともに、昔から身体があまり丈夫でないことや、痛みや不調に極端に弱いことの理由が何となく分かった気がしました。
この時にすべてが解放されたわけではなかったので、その後もたびたびこのテーマの恐怖や痛みに取り組んできたのですが、未だ根本的な解決には至っていませんでした。
そこで、なんだかんだ言って後回しにして来たこの絶望と恐怖に、今しっかりと向き合ってみることにしたのです。
胸の辺りにぼんやりとわだかまっている絶望にフォーカスしていくと、暗い地の底で人々が嗚咽している気配がありました。絶え間ない心身の苦しみとともに生きなければならない深い恐怖と絶望が、身体の細胞の中に満ちているようで、後頭部から首、肩、肩甲骨、みぞおち、腰のあたりまで痛みと重さが浮上してきました。
私はいつものように、自分の中に封印してきたそれらを、呼吸をしながらただただじっと感じていました。
そうすることで、どれほど怖かったのか、どれほど絶望していたのか、そしてどれほど混乱し、身を固くして縮こまっていたのかを詳細に感じ、分離してしまった意識を身体と心に戻して行ったのです。
すぐにその効果は現れて、みるみる軽くなっていきました。詰まっていた呼吸も深くできるようになり、胸の奥に感じていたモヤモヤも、大分すっきりしたようです。
ただ、まだ胸の奥にある痛みは残っていたので、さらにそれを見ていきます。
すると、「嫌だ!」という物凄い抵抗があって心身がブロックされていたので、その出来事を受け入れることにしました。その途端、ブロックが崩れて自分が壊れていくような感覚があり、自分が何をされていたのかが何となく見えました。けれどもそれも一瞬で過ぎ去っていきました。
その後に浮上したのがのどの痛みで、ここには言葉にならない呻きと叫び声が詰まっていました。それを声を出さずにサイレントシャウトで出してあげると、再び胸の奥から深い悲しみが出てきました。
胸が張り裂けるような悲しみというのはこういうものなのだな、というのをどこかで冷静に見ている自分がいて、文字通りハートが七転八倒するように悶えている様子を生きていました。
当時は、とてもこんなものは受け止められなかったのですね。これはちょっと覚悟がないと、触りたくないものですね。けれど、受け止めながら、やっとこの悲しみに触れることができた、というどこかホッとした感覚もありました。
しばらくそれらを受け止めて意識を戻してきてみると、視界がすっきりして世界の見え方が変わっていました。身体のエネルギーバランスも大分変化しています。
まだ残っているものはあるようですが、かなり楽になったので、残りはぼちぼちタイミングを見てやっていくことにします。