この世界にこの自分で生きるということ

このブログではたびたび
自分自身と和解すること、
自分を大切にすることを
書いてきています。

自分を嫌いな人、
どうしても認められない人って
結構多いように感じるのですが、
自分を否定し、排除したまま
自己実現するなど不可能なことです。

そうやって自分を否定した状態で
実現しようとしたものは、必然的に
自分ではないものになります。

自分の人生に、自分ではないものを
作り出そうとしているわけですが、
ではそのモデルはどこから
引っ張ってくるのでしょうか?

それは、誰にとって都合の良い
モデルですか?

この世界でできるだけ苦しまずに
いられるようにするための
防御策を重ねてきた結果、
そのスタイルになっただけなのかも
しれませんが、

そういう方たちの心の奥には、
いつも深い絶望と悲しみを
私は見るのです。

徹底的に自己否定している人たちを
見てきて、全てではないのですが、
ある傾向を持つ人たちがいることに
気づきます。

それは、自分の思いを叶えるために、
周囲が見えなくなってしまう人です。

自分100%になってしまって、
かかわる人たちの思いや状況など
まるで意識に入らないのです。

それで、周囲の人たちとの間に
非常に強い軋轢を生むのですが、
そうならないようにしようと思うと、
今度は自分を全否定するという
極端に走ります。

結構完璧主義な人に多いかな
という気がするのですが、
自分と相手の意見を折衝して、
落としどころを見つけるという
中間がないんですね。

相手の意見などを取り入れてしまったら、
自分100%ではなくなってしまって、
それは自分のやりたかったことではないので
情熱を傾けられないし、だったらいいや、
と諦めてしまう。

あるいは、
自分が相手を打ち負かして勝つか、
相手に打ち負かされるか、
になってしまうわけです。

そういうときの戦いは、
相手の言うことに聞く耳など持ちません。
聞く耳を持ったら負け、みたいな
感じで捉えてしまうからです。

こういうケースを転換するには、
自分を大事にしながら、相手の思いを受け止めて
応答できる自分を確立することがカギになります。

自分を大事にするというのは、
自分の思い通りに相手に従わせることでも、
自分が嫌な思いをしないように
相手に嫌な思いを押し付けること
でもありません。

本来、そういうことをすると、
自分の中にも嫌な感じがするもので、
だからブレーキがかかるのですが、

何でも自分の思う通りにしようとする人の
意識を見ていくと、自分と相手との間が
隔絶しているというか、分離しているんですね。

だから、相手が苦しんでいようが
何も感じないし、関心を持てないのです。

この状態を変えていくには、
その人の世界の分離を解いていかなくては
なりません。

その人は、自分だけの別の世界に
エスケープしているように
私には見えます。

そうなっているにはなっているだけの
理由があり、事情があるのですが、
要は、この世界に生きることが
辛すぎるので、ここにいたくないわけです。

その辛さをどうにかして統合して、
世界の分離を解消し、その人がこの世界に
生きていても大丈夫な状態になってくると、

相手との自然なつながりを感じられるようになり、
相手の痛みと自分の痛みがそれほど分離したもの
ではなくなっていきます。

そうして、相手との間のエネルギー循環が
自然に起こるようになり、そうなると、
自分を越えた、よりダイナミックな
喜びは情熱、豊かさや拡大の感覚が
湧きおこるようになります。

自分の思いだけを通そうとして
横車を押すような不調和なことは
自分でも心地良く感じなくなので、
しなくなるでしょう。

エンパスの方は、相手を感じすぎて
自分も辛くなってしまうので
生き辛いので、こういう方は、
境界線の取り方を学ぶ必要がありますが、

世界から自分を分離させている人は、
何も感じなくなっているが故に
生じる辛さもあるということですね。

こういう風に書くと、
中庸とか、バランスの問題と捉える方も
あるようなのですが、

実際はバランスの問題ではなく、
それぞれ別の問題のような気が私はします。

誰しも、多かれ少なかれ
線を引いている人間関係はあるだろうし、
必要以上に境界線の緩い関係性も
あるでしょう。

同じ相手にも、その場面、分野によって、
踏み込ませたり踏み込んでいくラインは
違うでしょうし、

自分がいつ、相手を受け入れ、
守るべきところは守り、
踏み込むべきところは踏み込むのか、
毎舜、判断していく必要があります。

そのラインを見極めるためにも、
自分を抑圧し、拒絶していてはできないし、
基準はやはり、絶対的に自分から
出発する必要があるのです。

この世界に生きることというのは、
多くの人にとって喜びでもあると同時に
深い苦しみの記憶と隣り合わせでもあり、
本当にこの世界を受け入れて生きるのは、
人それぞれの難しさがあると思います。

けれど、それでもなお、
私たちはこの世界に、この自分で
本当に生きることにチャレンジしにきた
のではないだろうか、と思うのです。

こんな学びができるのは、
地球だけかもしれませんね。

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