昔から緊張が強くてリラックスするのが
苦手な性質だったのですが、
ここのところあれこれ頑張ってしまって
心も体もガチガチになっていました。
そうなると、もうモチベーションが
ぜんっぜん上がらないしネガティブ思考は
湧いてくるし。。。
これはいかん!ということで、
昨日は都内某所に現実逃避をしに
行ってきました。笑
そして、こんな本を読んだり。↓
「いいかげんに、生きる」
(心屋仁之助著、朝日新聞出版刊)
おかげさまで大分復活して参りました。(^^)
たまには、「もうやだ~~~!」って
放り出してリセットするのも大事ですね。
すると、何かが流れてくる。
固まってるからうまく流れなかったんだ
ってことが分かって来るんですね。
色々、どうしようかと思うことはありますが、
考えても堂々巡りするばかりなので、
「もう神さま、お任せします!」
と、神さまに放り投げることにしました。
こうなったらもう「神さまマター」ですから、
私は一切手を引いて、それについては
考えないし、自分から手を出さないことに
決めました。
結構この「神さまマター」っていいですよ。
重荷がすっと楽になります。
そう言えば、ラマナ・マハルシも
こう言っていました。
明け渡しなさい。
そうすればすべてはよくなるでしょう。
すべての責任を神に投げ出しなさい。
自分一人で重荷に耐えようとしてはいけません。
出典:SRIRRAMASRAMAM
「問題と見えるもの」を何とか解決しようと
格闘しているのは「エゴ」です。
このエゴというのは、先日の記事で解説した
レナード・ジェイコブソンの言うエゴくん
のことです。
エゴにはそもそも、問題を解決する力なんて
備わっていないんです。だからと言って、
エゴが無能だと言っているわけではありません。
元々それは、エゴの仕事ではないんです。
それなのに、エゴは一生懸命、解決策を考えて
何とかしてこの事態から脱出しようと
頑張るんですね。
何とも健気ですが、決してできはしないことを
延々とやり続けることは、虚しさと絶望感を
呼び起こすでしょう。
自分がするべき努力と、明け渡すべきところ
との識別が必要なのかもしれません。
でも、難しいですね。
私もついつい、エゴくんが頑張ってしまいます。
それで、どうにもならなくなって
「もうできません。助けてください!」って
泣きながら祈ることもあります。
すると、ちゃんと恩寵はやって来る。
それは、「自分の思うような形」ではないかも
しれないけれど、
ものすごく温かくて、
見離されていないのだと明らかに感じられる、
自分にだけ分かる印がやって来ます。
とてもプライベートで親密な、神の囁き
とでも言いましょうか。
他の誰に宛てたのでもない、
まさに神と私の一対一の対話なんですね。
今まで何度も「もうこれ以上進めません!」
っていう時がありましたが、その度に私は
この恩寵に助けられてきました。
そのままで良いから、歩み続けなさい、と。
自分の中でこの恩寵を感じられているか
いないかは、道なき道を行く私たちには、
とても大きな違いになって来ると思います。
逆に言えば、人生の霊性修行において、
神と一対一のつながりを感じられていない
としたら、それは本物じゃない、と思うのです。
ちなみに、
私はよく「神」という言葉を使いますが、
特定の宗教を信仰しているわけではありません。
霊性修行の一環として、インドの神様に
マントラを唱えたり、マリア様のメダイや
イコン、ロザリオを持っていたりは
していますけれどね。
けれど、何を礼拝していようと私の中に
常にあるのは、自分自身の深奥にいます
内なる神です。
自分の中に、本当に神がいたんだ!
という真実に導いてくれたのは、わが師
レナード・ジェイコブソンです。
2011年の初来日以来、毎年彼に会いに行って
いますが、とても深いレベル目覚めた意識
にある彼はこう言います。
神を信じる必要はありません。
あなたが実際に神を体験したのなら、
あなたはもう分かったのですから、
信じる必要はどこにあるでしょうか。と。
彼の誘導に従って、初めて自分の内に
神を体験した時、
それはほんの一瞬のことでしたが、
私の人生を変容させてしまうのに
十分なものでした。
その瞬間から、神は私にとって
概念を論じるものではなくなりました。
そこからも、たくさんたくさん迷いましたし
神への恨み、怒り、憎しみも吐き出して
きました。
その度に、自分の中に流れる恩寵の感覚が
強くなっていきました。
表面上起こっている
様々な「思うようにならないこと」の底辺で、
絶えることなく流れ続けている別の力が
私を導いているのを感じるのです。
これまで、何度も明け渡そうとしても
できなかったところも、少しずつ明け渡せる
自分になってきているかな、と感じます。
恩寵とサレンダー(明け渡し)は、
神との信頼関係が強くなるほど、
自然に起こって来るものなのかもしれません。