いつの間にやら10月入り。急に寒くなりましたが、
今年も残すところあと3か月、速いものですね。
昨日は9月最後の感情解放ワークショップでした。
初めての方たちも熱心に参加され、みなさんそれぞれ
必要なものを受け取られて行かれたと思います。
新しい概念や世界観を取り入れるとき、
最初は既存の世界観との間で混乱したり、
抵抗が起こったりすることがあると思います。
特に、この感情解放のワークでは、
今まで逃げてきた自分の人生に対する責任を
誰のせいにもせずに引き受けていくかどうかと
問われていくので、恐れを感じることもあるでしょう。
私も以前は、「責任」と聞くと無条件に逃げ腰になる
という状態でしたが、逃げてきたものに向き合い、
受け止めていく中で、
自分の人生の責任をきちんと受け止めることが、
どれだけ自身にパワーを取り戻すのかということを
実地で体験して理解するようになりました。
私たちはよく、自分で決めたことの結果が
思うようなものでない時、結果を受け止めずに
くよくよ後悔したり何かや誰かのせいに
したくなることがあると思います。
自分で決めたことだから、うまくいかないと
なおさら辛いのでしょうが、その辛さから逃げると、
そこにある学びにも気づくことはできないし、
ものごとを創造して行く力も失ってしまいます。
そして何より、自分を信用できなくなるんですね。
だから、自身の内からやって来る導きにも
繋がれなくなるし、自分で何をどうしたらいいのか、
さっぱり分からなくなってしまうのです。
この状態の人はどういう行動をとるかというと、
「自分より分かっていそうな誰か」を探して、
その人の意見を元に行動するようになります。
そして、何かあればそういう人にどうすればいいか
決めてもらえばいいとなるので、自分で判断する力が
ますますなくなっていきます。
そうやって行動した結果の責任も、自分で引き受ける
という意識が希薄になっていきますね。
それでうまく行っている内はいいのでしょうが、
最終的にはそのやり方はうまく行かなくなるでしょう。
なぜなら、自身の内なる声と断絶した状態を、
私たちの魂は決して良しとはしないからです。
自分で自身の人生の責任をしかととるように、と
促される出来事が必ずどこかの時点で起きるでしょう。
矛盾する心理ではありますが、
私たちはコントロールされることをひどく嫌うのに、
一方で自身の人生の責任を追うことから逃げ、
自ら進んで人生の主導権を他者に明け渡して
「コントロールされる安心」を選ぶことがあります。
サロンで色々なご相談を伺っていても、
コントロールのテーマに苦しむ方は多いですが、
私たちはこのバランスをしかとマスターするまで、
繰り返し自分への責任を引き受けていく在り方を
学ぶのだと思います。
ここができるようになっていくと、
自分の人生を生きている実感が湧いてきます。
とてもパワフルになり、生き生きと内側から
その人本来の輝きが出てくるでしょう。
本当の生きる喜びは、こういう状態から
湧き出てくるものなんですね。
私たちは、いつから自分の人生を生きる喜びを
失ってしまったのでしょうか。
自分が幸せでないのは誰かや何かのせいだと
それらを責めながら、
自身を幸せにするためのパワーを自分で
それらに渡し、自身を不幸にさせてきたでしょうか。
こうした在り方にどっぷりと浸っている人には、
この在り方を転換するのは、途方もないことのように
思えるかもしれません。
けれど、最初の一歩を勇気を出して踏み出して、
今この瞬間の一歩一歩に集中していけば、
決してできないことではないと分かるでしょう。
誰かや何かを責めるのをやめて在るがままの自分を
受け止めるのは、私たちにとても深い癒しを
もたらしてくれます。
さて、あなたはこの方向に向かう一歩を
踏み出すでしょうか。
それとも、まだこれまでの在り方に
安住していたいでしょうか。
見知らぬ天国よりも、慣れ親しんだ地獄
私はことあるごとにこの言葉を出してきていますが、
その慣れ親しんだ地獄も、いつまでも同じ程度の
苦しみであり続けるわけではありません。
そのまま地獄に安住しても、決して楽になることは
ないでしょう。むしろ苦しみは増していきます。
なぜなら、それも私たち自身の魂がそこに
安住することを望まないからです。
自分でそこから出ていかざるをえないように、
導かれて行くのです。
それも、愛ですね。
地獄から追い立てられていく時は、
辛いかもしれませんが、振り返ってみたら
本当に良かった、と言える時が来ると思います。
苦しい状況の中にも常に流れている愛に、
私たちが気づいていられますように。