私の好きなアーティストに、「ピアノガイズ」
っていうクリエイティブ集団がいます。
クラッシックとポップスの中間みたいな音楽で、
美しい自然の中や万里の長城など、
普通こんなところに楽器持ってこないでしょ、
っていうところに持ち込んで、とっても楽しそうに
演奏している。
その映像のインパクトと美しさ、彼らの音楽性が
素晴らしくて、私はよく疲れたときとかに聞いて
元気をもらっています。
で、いつだったか彼らのインタビュー記事
https://www.gizmodo.jp/2015/04/post_16991.html
を読んでいた時、メンバーみんなが共通して
大事にしていることに、
家族と神を信じていること、って
書かれていたんですね。
それで、あぁそうか!って
彼らの音楽の根底にあるものが
腑に落ちたんです。
YouTubeの中には、彼らをまねたような
どこかのきれいな自然の中で、
気持ちよさげに演奏しているグループ
なんかもよく見かけます。
でも、決定的に何かが違う。
音楽の技術とかセンスとか、
そんなもの以上に、ピアノガイズだけに
何かが感じられたんですね。
メンバーが作品を作る時は、
集まってお祈りをしてから始めるそうなのですが、
だからこそ、彼ら個人の力を越えた何かが
そこに入るんでしょうね。
そう言えば、随分前にフラメンコギター奏者の
沖仁さんのライブに行ったことがありました。
大河ドラマの「風林火山」のテーマ曲なんかを
やっていた方ですね。
演奏も本当に素晴らしかったのですが、
沖さんはトークの中で、
いつも聴衆の「向こう」に向けて弾いている
ということを言っていました。
その「向こう」に届いていれば、
目の前の聴衆には届いているからOK
って言う表現でした。
何となく彼の言う「向こう」っていうのが
わかるような気がして、なるほどね~って、
その話がずっと印象に残っていたのですけれど、
ピアノガイズにしても沖さんにしても、
多分、作品作りだけじゃなくて、
生き方自体がそうなんだろうな、
という気がします。
つまり、
個を越えた何かを意識して、
そこと対話しながら人生を歩んでいる。
その結果、素晴らしい作品が
そこから生み出されてきている。
これって結構大事なことなんじゃないか
と思います。
これがあるのとないのとでは、
人生の質がものすごく違ってきますよね。
先日、奄美の健康飲料ミキの作り方を
伝えている田町まさよさんの
ミキを作るワークショップに行ってきたのですが、
「日常のすべてがご神事」という田町さんの
言葉に感動しました。
お米を洗うときも、本当にお米と水と
丁寧に対話していらっしゃるんですね。
持ち帰ったミキを飲みながら、
「日常のすべてがご神事」の意識で
過ごしてみよう!と思いました。
要は、レナード流に言えば
プレゼンスでってことなんでしょうが、
田町さんの表現の方が私には
すっと入ってくるような気がしました。
たとえば、散歩に行くときも、
伊勢神宮を歩くような気持ちで歩いてみるとか、
掃除をするときも、神殿や神具を掃除
するように掃除してみるとか。
やってみると、なんだか自分のいる世界が
変わる感じがしますね。
特に掃除なんかはその成果が見えるので
わかりやすいです。
ぼんやり考え事をしながら掃除したとき
と比べて、空間の張りというか
整った感覚が格段に違うのです!
日常を雑に生きるか神事のように生きるかで、
この差がどんどん積み重なっていくわけですね。
人間にとって、霊性ってすごく大事なこと
であり、自然なことだと思うのですが、
それは何も寺社巡りをするとか
スピリチュアルなワークをするとかのこと
ではないのです。
ごくごく日常の、家庭の中で、
毎日の生活の中で実践されるもの、
感じられるものであって、
何か特別な、日常とは違う世界のこと
ではないのです。
ここが分離しているということは、
何か閉じているものがあるんだろうな
と思うのです。
日常のちょっとした瞬間に、
自分を超えた存在に意識を向けて感じて見る。
仕事を始める前に。
何かを決断する前に。
人が集まる前に。
自分の思う通りにするために祈るのではなく、
ただ、自分を超えたところからの調和が
この世界に現れてくるように祈るのです。
祈りって、お願いすることじゃないですよね。
謙虚に、自分の真心を捧げることのように
私は思っています。
だから、真心を込めてお料理をすれば、
それは祈りだし、
お掃除もどんな仕事も祈りの時間に
なるのだと思います。
日常をどれだけ祈りにできるか。
チャレンジ中です。(^^)