人生には、必ず失敗するように仕組まれている
プログラムが、実はあるんじゃないか。
そんなことを考えました。
誰しも多かれ少なかれ失敗というものを
経験しているだろうと思うのですが、
自分の傾向と気質からすると、
ほぼ9割くらいの確率で失敗してしまうだろう
という流れが、避けようもなく
やって来ることがあります。
どんなに努力していても、です。
それで結構落ち込んだりするのですが、
多分それは、最初から失敗するように
仕組まれているんですね。
人生は、別に悪意をもって経験させようと
しているわけじゃありません。
多分、失敗を経験させた方が
早く成長するから!
なんじゃないかなと。
失敗なくうまいことやるというのが
私たちの多くに刷り込まれた
「最上の道」だったりしますが、
実はこういうのは、ある意味、
大切なことを学び損ねてしまう可能性も
結構大きいのではないかと思うのです。
微妙な在り方のズレは、自分で気づいて
修正することもある程度は可能です。
けれど、どうしても死角になるところはあるし、
自分ではOK!と思っていても、実は
大きくズレていることも良くあります。
自分で認識できないと、軌道修正には
至りませんから、そう言うときに、
ガツン!と大きな失敗と思える出来事を
経験させて、欠けていた視野に気づかせる、
みたいなことがあるのかなと。
だから、失敗した方が実は気づきが
大きかったりすることって、
あなたにも経験ありませんか?
そうは言っても、失敗ってやっぱり痛いし、
ショックだし、打ちのめされますよね。
まぁそういう気持ちも受け止め、
ちょっとの間、めそめそしても良いと思うし、
グズグズウダウダしてみてもいいと思います。
そうして、そこそこ気が済んだら、
多分出来事を振り返る気力がすこ~しずつ
湧いてくるでしょう。
(注:中途半端にウダウダすると、なかなか
復活できないので、ウダウダするときは
しっかりウダウダしましょう。笑)
どんな気持ちも、否定しないで
受け止めることがミソですね!
そうして、辛かったけれど、一体どうして
こんなことが起こったんだろう?
何に気づいたらいいのだろう?と
出来事を考振り返っていきます。
転んだままでは転び損です。
気づきの宝をしっかり拾って、
タダでは起きないよう、
図太く行きましょう。笑
出来事には必ず闇の側面もあれば、
光の側面もあります。
ただ闇に飲まれているのではなく、
光の側面も見るようにするんですね。
たとえば、その出来事によって失ったものも
大きかったのかもしれないけれど、
一方で得たものはなかったか?
その出来事によって、初めて知ったこと、
認識したこと、理解したことは
何だっただろうか?
それまでの認識とは違った事実に
直面できたりはしなかっただろうか?
それらを拒絶すると、単なる不幸、
厄介ごとを抱え込んだような気持ちに
なってしまいますが、
実はこうしたことを「得ている」
わけですね。
「すべてを失った」ってよく言いうけれど、
裏を返せばいくらでも得ているものは
あるはずなんです。
ただ、見ていないか、認識していないだけ。
その「得たもの」にいかに対峙するか、ですね。
失敗は、一種のショック療法と言えるでしょう。
けれどそれは、諸刃の剣ではありますよね。
どれだけそのショックを活用できるかは
その時の本人の力量によりますから、
下手をすればこじらせかねない。
こじらせたまま、何年も苦しむ可能性とも
背中合わせなわけです。
そうであったとしても、
人生は気づかせたいのです。
何か大切なことに。
気づかないまま、
「私は持っている。得たのだ」と思っていたものは、
実は最初から持ってはいなかったし、
得てはいなかったのだと思います。
元々なかったものを「ある」と思うから、
失ったのだと悲しみ、悲嘆に暮れ、
打ちのめされるのでしょう。
それは幻想です。
幻想は、去る運命でした。
夢から醒めたのなら、
今度は「本当に得る」ために、
今できることをしていきましょう。
幻想ではなく、
二度と去らないものに触れるために。
失敗を越えて、
人生の望みに至るために。
すべての打ちひしがれた瞬間に、
気づきの恩寵がありますように。