自分に向き合う作業をしていると、
つくづく、私たちはありとあらゆる方法で
「自分を守る」ということをしているな~
と思います。
自分が嫌な思いをしないように。
傷つかないように。
事実を否定し、誰かや何かに責任転嫁したり、
他者を見下して自分を上にみせたり、
自分を責めまくって訳が分からなくしたり、
ときには自分を無力にすらしてみせます。
事実を在るがままに受け止めて、
起こってくることをそのまま生きることが
どうしてこんなにも恐ろしいのか。
それを避けるために、これだけのエネルギーを
注ぐのであれば、なぜ同じエネルギーを
在るがままを生きることに向けられないのか。
自分を含め、様々な方のセッションをしていて
よくそう思います。
在るがままを生きないがゆえに起こってきた
耐え難い苦しみを収束させるために、
私たちはどれだけの時間とエネルギーを費やし、
その間の苦しみを耐えなければならなかったか。
結局、事実を認めて在るがままを生きるのが、
最も苦しみの少ない道であり、
これ以上の方法は無いんですね。
だから、癒しにおいては、
いかに真実に誠実な在り方に軌道修正できるかが
カギなのです。
ここに対して抵抗が強いほど、苦しみは長引き、
セッションは複雑なプロセスを踏むことに
なります。
ワークでは、自分に嘘をついて真実をゆがめた
まさにそのポイントに戻って、在り方を
方向転換していくことの繰り返しです。
何かしら怒りや悲しみや憎しみ、悔しさなどを
感じたはずなのに無かったことにしたとか、
メリットを得るために真実ではない態度を
取ったとか。
多かれ少なかれ、こういうことを重ねていくと、
微妙なレベルで自分自身と分離を深めていきます。
そうしなければ、そのような在り方が
できないからです。
本来、嘘をつくことは物凄く苦しいこと
なんです。感性を開いたままでは、
とてもそんなことはできません。
だから、自分とのつながりを断ち、
感性を鈍くして、嘘がつける状態を
作っているわけです。
自分とのつながりが薄れてしまったら、
唯一無二のこの人生を導く深いところからの声も
取れなくなってしまいます。
そういう在り方で得るメリットよりも、
遥かに大きなものを失ってしまうのです。
こういう在り方を変えていくのは、
小手先ではダメです。
本当に、根本から今の在り方を方向転換する
意志が必要です。
小手先でやろうとすると、
フリーズしてしまうんですね。
嘘をひとつつくと、その嘘を支えるために
数百の嘘を重ねなければならないと
よく言われます。
在り方を一つ変えようとすれば、
それに連動するすべての領域に
その影響が及ぶのです。
まるで、血液を入れ替えるようなそんな作業を、
やり遂げようと思うでしょうか。
ここだけ変えればいいんだという程度の認識だと、
そんな変化に対する心の準備も同意もないので
ぐっとブレーキがかかってしまいます。
こんなに大変な作業をする気なんて
なかったのに!って具合ですね。
本当に自分に向き合っていると、しばしば
「お前はそれでも先に進もうというのか?」と
人生から問いかけられます。
進んだら進んだなりに、そこで見えてきた世界で
まだ覚悟しきれていないところが自分でも
わかってきます。
そういうときに、「やるの?やらないの?」って
問われるんですね。
頭ではやるべきだってわかっているけれど、
本当に肚が決まるまでに数か月を要する
ときだってあります。
それまで、自分が取り組むべきものが
何であるのか、今何ができていなくて、
何をクリアしておけばいいのか、
じっと見つめるわけです。
そこがおよそ見切れたときに、
何となくでも「イケる!」という感覚がきて
歩みを進めることができるようになります。
行き詰っている人は、自分が進んだときの
在り方の何に同意できておらず、
同意するにはどんな力が必要なのかを明確に
するといいかもしれません。
たとえば、責任転嫁して自分を保っている人は、
責任を自分に引き戻した時の重圧を
ちゃんと支えられるような自分の在り方を
することに同意しているのか。
同意しているのだとしたら、
実際にその重圧を支えようとしているのかどうか。
自分の責任を引き受ける必要がありますよ、
と言われて、そうしなければ、と思う人は
多いですが、
実際の作業段階でそう決めた
「主体としての自分」がどこかに行ってしまう
人がたまにいます。
どうしてそうなってしまうのかと言うと、
結局のところ、そういうキツさを
引き受けることに同意していない
というところなんだろうと思います。
楽になりたい、癒されたいと思いながらも
では在り方を変えていくか?というと
必ずしもそうは思っていないというところが
ちぐはぐなんですね。
頭だけで進めようとする人に
結構よく起こる現象です。
こういう人は、自分のことなのに
「そうなんでしょうね」とかまるで他人事のように
話す傾向があります。
明らかに自分とつながれておらず、
空回りしているサインです。
自分がそういう言い方をしていないか、
チェックしてみてください。