頭の信念がハートの真実を覆い隠す

昨日は感情解放ワークショップでした。
ご参加くださったみなさま、
ありがとうございました。

昨日もみなさんそれぞれに
深い気づきと統合があり、そして
これからの自分へのコミットメントを
されて行かれました。

お帰りの際のみなさんの後ろ姿が
ピカピカで、なんだかとても
まぶしく思えたほどでした。

人は、心の奥底に沈めてきた
本当の願いに気づいて、
それを生きると決めると、

たとえそれがまだまだ実現の途上で
あったとしても、こんなにも輝き始める
ものなのかな、と思いました。

誰しも、相手を受け止められないのと同様に、
自分自身もまた、受け止められていない
ところを多かれ少なかれ持っているものだと
思います。

それに触れると、自分を保っていられない、
崩れ落ちてしまう、がっかりする、
自分を許せない、立ち上がれなくなってしまう
などなどを恐れて、

そうなりたくないので
頑なに生々しい気持ちには触れず、見ず、
お茶を濁して逃げていってしまうのです。

それが良いとか悪いとかではなく、
そうやって自分を守っているのですね。

でも本当に楽になりたい、
良くなっていきたいと思うのなら、
こういう逃避はどこかでケリをつけて、
背を向けたものに向き直らなければ
いけませんね。

それは、最も許せなかった自身の側面を見て、
それが自分だと認めることだったり、

認めたが故にアイデンティティが崩れていく
恐ろしい感覚を味わうことだったり、

打ちひしがれて、動けなくなっている
感覚を生きることだったりします。

このように書き出すと、さも恐ろし気に
思えますが、実際一つ一つやれば、
そう恐ろしいことでも不可能なこと
でもないのです。

それをしても、実際に動けなくなって
日常生活が送れなくなることは
ありませんし、

むしろ、すっきりと清々しく
前向きに生きる気力が湧いてきたり
するものです。

それをひどく抵抗するのは、大抵は
ちっぽけなプライド故だったりします。

人間、いかに自分の愚かさや醜さを
直視することを避けたがるのか、
セッションをするたびにその逃げっぷりの
しぶとさを目の当たりにします。笑

認めてしまえばすぐに楽になれるのに、
あの手この手で絶対に認めない、
逃げまくる様子は、傍から見ると
酷く滑稽に見えるでしょう。

実際、そういう自分の姿が「鏡」に
映ると、なんというちぐはぐなことを
やっているのかと呆れるものです。

昨日のワークショップでも、
他の方のワークを見ていて、
多分みなさん他の方が逃げているときは、
明らかにそれと分かったと思います。

でも、本人は必死なのです。

人の在り様を見て、ばかだなぁと笑うのではなく、
それが自分なのだとよ~く見つめてみて
頂きたいのです。

本当にしっかり見つめられていれば、
ハッと何かに気づくはずです。

一点の言い訳の余地もなく、
まさにそれが自分であるという気づきが
深く深く自分の中に広がっていくでしょう。

これは、頭で「そうなのか~」と
納得することとは全く違います。

大抵の人は頭で納得してわかったつもりになって、
後で自分のどの部分にそれがあるだろうか、
などと「考え」たりするのですが、
そういうことではないのですよね。

それから、頭の信念とハートの声との間に
大きな乖離がある方もよくいらっしゃいます。

よく私はセッション中の誘導で、
その方のエネルギーから読み取った言葉を
その方が自覚しているかどうかを
ハートに聞いてもらう、ということをします。

たとえば、
「私は愛されてはならないと思っている。
yes or no? ハートに聞いてみて」
って具合に。

はっきりハートの声が取れる方もあれば、
ほぼ取れない方もありますし、中には
マインドの声をハートの声だと確信して
答える方もあります。

最後のケースは、わからないよりも
注意が必要になりますね。

単なる恐れで聞こえなくなるよりも、
信念や美意識が強く真実を覆い隠してしまう
ようになるからです。

この場合は、抑圧を解くのに少し
段階を踏むようになりますね。

美意識とは反対の自分であったとしたら、
どんな気持ちになるのか。

最も許せない自分だとしたら、
その自分はどんなことをしたような
気がするか。

この辺りの感覚を掘り下げていくと、
何か出てくるでしょう。

けれど、その人が本当に
そういう自身の側面を見ようと
よほどコミットメントしないと、
そう簡単には出てこないでしょう。

そんな自分であるはずがない、
と強く信じているので。

でもそこまで拒絶するには、
必ずあるはずなんですよね。

何もなければそんなにも反応する
はずがないですから。
逆説的ですけれどね。

こういう風に見ていくと、
何かが隠れている場所に対する嗅覚が
研ぎ澄まされていきます。

逆に逆に、見ていくんですね。

そうなりたい、と言うのであれば、
今はそうなってはいないということだし、

愛されたい、と言うのであれば、
今は愛されている実感がないということです。

本当にニュートラルであれば、
どちらの可能性も否定しません。

あるかもしれないし、ないかもしれない。
きっぱりとないと言えること自体が、
怪しいのです。

そんなことにも注目しながら
自分の心の揺らぎを探ってみると、
かなり面白くなると思いますよ。
ぜひお試しあれ。

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