恩寵の基盤

ここのところ、個人的に
かなり手ごわい課題に取り組んでいました。

無力感という、生きる気力をむしばんでいく
病のようなこの感覚に、どう向き合ったものか、
と試行錯誤しながら来たのですが、

この無力感には深い失望という痛みが
セットになっていて、これもなかなかに
しんどいものでした。

心も痛いのだけれど、身体も痛い。

感情解放ワークでは、体感覚から離れないようにして
呼吸とともに受け止めていくのが鉄則なのですが、
深く胸や腹の奥までえぐられるようなその感覚は、
結構キツかったです。(^^;

激痛だとかいうことではなく、
ただ嫌な感覚なんですね。
まぁ、受け止められないということは
ないのですけれど。

そうした心身の痛みに悶えながら、
深く深く、その痛みが導くところへと
意識を向けていきました。

私はよく、しんどいな~と思うような
プロセスを通過していくとき、
何者かに導きを祈ります。

その時々によって対象は違うのですが、
今回はお地蔵さまにお祈りしました。

普段はあまり馴染みのない存在なのですが、
以前ある方に、地蔵菩薩の誓いについての
お話を伺い、まさに今の自分を導いてくださるのは
この方だと思ったからです。

地蔵菩薩の誓願は、すべての地獄に堕ちた衆生を
救うまで、自身は悟りを得ないというものです。

何とも、計り知れない慈悲と勇気や覚悟などという
生易しい言葉では言い表し得ないものを感じます。

だからこそ、無明の闇でもがく自分には、
地蔵菩薩の導きの力が必要だと思ったのでした。

そう言えば、20年近く前に伊豆を友人と旅したとき、
たまたま出会った尼さんがいました。

近くの毘沙門堂を訪れるのに、ちょっと車を
止めさせてほしいと訪ねたのが縁でした。

無事にお参りした帰りに、お礼を言うために
再び立ち寄ると、お抹茶とお菓子を
ごちそうしてくださいました。

その時の諸々話の中で、私の誕生日が23日だと
知ると、「あんたはお地蔵様の日の生まれだね」
と教えてくださいました。

日によって、担当の仏様がいるとはそれまで
知りませんでしたが、そんな過日の思い出が
ふと浮かんできました。

もうその庵主様も、ひょっとしたら他界
されているかもしれません。

そんなことを思いながら、地蔵菩薩に
祈りを捧げつつ、心身の痛みの中、
じっと自身の奥深くに意識を沈めていました。

そのおかげか、最もきついところはいつの間にか
過ぎていたようで、まだ残っているものは
あるものの、

底の割れた桶のようになっていた心の
エネルギー漏れは、どうにか落ち着いたようでした。

そうして翌日、ふとした瞬間に、自分自身の
基盤の感覚が、ぐっと深くなっていることに
気づきました。

それまでも、私にとってはこの基盤の感覚は
とても大事なもので、それなりに感じてはいたのですが、
この時はこれまで以上に、何か質の違ったものを
感じたのです。

心の底が割れて修復されていく過程で、
元に戻るのではなく、割れたからこそ変えていける形に
再形成されたのかもしれません。

プロセスを通過するのは結構痛いものだけれど、
前よりずっといい感じになったから、
それも良しとしよう、と考えるところ、
現金なものです。(^^)

それにしても、お地蔵様の恩寵は、
何とも有り難いものです。

お地蔵さまに限らず、私たちの周囲には、
こうした無数の救いの手が差し伸べられて
いるのかもしれません。

真摯に、そして謙虚に自身の無力さを認め、
さらけ出したうえで救いを求めるのなら、
私たちは容易にその差し伸べられた手によって
救い上げられるのでしょう。

私は特定の宗教を信じているわけでもありませんし、
何かの概念を信仰しているわけでもありません。

ただ、霊性修行の一環としてインドの神々を
礼拝したり、日本の神さまに祝詞をあげたりは
しますが、

元々は神々への信仰によって解脱を目指す
バクティ・ヨーガの者ではありません。

どちらかと言えば、知識によって解脱を目指す
ジュニャーナ・ヨーガから入っています。

けれど、いずれの道を取ろうとも、
それぞれの道は互いに不可分に混じり合い、
同じところに導かれていきます。

真摯に道を実践していれば、
概念を超えた恩寵に触れざるを得ず、

触れてしまえば、人智を超えた、
何かとても有り難いものが存在していることを、
否定することはできなくなります。

それは決して概念ではなく、
リアルなのだと、疑いようもなく
知るからです。

この恩寵が、私の歩みの基盤になっています。

だから、ワークをするときはもちろん、
瞑想するとき、歩くとき、座るとき、
人と会うとき、仕事をするとき、眠るときも、

できる限り、この基盤から発するように
しています。

楽しみ、喜ぶときも、苦しみにのたうち回り、
もがくときも、常にここを忘れずにすごす
日々の中で、意図せず、深まっていくものも
あるのでしょう。

心が先走って自分がお留守になるときも、
ちゃんとここに帰ってくるように。

無明の闇もまた、光の一部なのかもしれません。

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