自分の思いを表現する

ここしばらく、というか数か月、
色々と自分を振り返らされています。

まったく別方面の方から、同じことを
指摘されることが何度かあり、
実は昨日も「あ、まただ!」というお知らせが
やってきました。

う~ん、やっぱりそこが課題なのよね。(^^;

「そこ」というのは、「自分の思いを伝える」
ということ。

私が師と仰ぐレナード・ジェイコブソンは、
常々「自身のニーズを、結果にこだわらず、
愛をもって表現すること」と自身の生徒たちに
伝えています。

リトリートやセミナーなどでも、
彼は日本的な気の利かせ方は一切しません。
わざとなんですけどね。

日本人は自身のニーズや意見を表現することが
とても苦手です。自分がそれを表現する前に、
誰かが「察して動いてくれる」という文化的背景が
あるからですね。

それが世界最高レベルの「おもてなし」の
ベースにある日本人の繊細な心遣いです。

けれど、これが故に、自分の意見を明確に
表現するということが他の国の方に比べ、
とても弱いのです。

レナードに繰り返しこのことは教えられてきて、
自分でも普段から「今日のランチは和食よりも
エスニックがいい~(^^)」くらいは
主張するようになりました。

また、どうせダメだろうな、と思うことでも、
取り敢えず言うだけ言ってみる、なんてことも
よくやります。

こういう「ニーズ」の表現については、
以前よりも随分表現していると自分では
思っているのですが、

もっと繊細なレベルでの思いを表現すること
については、まだまだだな~と思います。

職業柄、私の場合は相手の話を「聴く」
ということの方に重点が行ってしまう癖も
大きいと思うんですけれどね。

仕事で相手の話を聴いているときは、
注意深く自分の心を静めた状態で、
そこにその方の波動を映すようにして
見ています。

ちょっと表現は違いますが、
箱眼鏡で水中をのぞき込むような感じです。

そこに映る景色に対して
感じた違和感などにアプローチをしていく
やり方なので、自分から動くよりも
どちらかというと、受け身になりますね。

ですので、セッションは私が方向付けをして
何らかの形に誘導しているわけではなくて、
その方の中から現われたものをその方向に
広げていくだけです。

だから、私は最終的にそれがどこに収束していくのか
実は知らないんですね。

でも、やっていくとちゃんと収まるところに
収まっていく。

その方自身の中に答えがある、というゆえんです。

まぁ、こんな感じなので、私が自分自身の内に
湧き上がるものを表現する能力は、
聴く能力よりもはるかに低いんだな~
ということをしみじみと感じる今日この頃です。

で、このことをここ数か月、繰り返し
色んな方から言われているんですね。

表現しなさい、と。

元々の私の性質からすると、
本来はそういう在り方の方が自然で、

今のやり方は、たとえるなら
右利きの人が左手を使って何かするような感じで
すごく器用なことをしているらしいのです。

へぇ~、そうなんだ。
自分ではわからないものですね。

利き手でない方のやり方を、今生だけでなく
随分長く訓練してきたような感覚もあり、
本来の利き手の感覚を思い出す方が
大変だったりしますが、思い出せたら、
随分在り方も変わるのでしょうね。

今、もし自分の思いを伝えるということを
しようとするならば、自分の思いを放つ先を
今以上に注意深く見なくてはいけないな、
という気がします。

不用意には放てない、という恐れがあるんですね。

相手を傷つけてはならないというのと同時に、
自分も傷つきたくないという逃げがあります。

仕事だと、伝えなければならないことは
伝えようという覚悟も、普段よりはぐっと
出てくるのですが、それ以外のところでは
やはり楽な方に逃げますね~(^^;

ちょっとこの辺りの恐れを掘り下げて見たら
いいかもしれませんね。

傷ついたとき、まず混乱があって、ショックで
固まっています。同時に、恥の感覚で
自分を責めているようです。

自分を責めるのを止めて、落ち着かない混乱と
固まっているショックを統合していきます。

こうしていくと、自分の思いを表現することへの
重さが抜けて、随分楽になっていきます。

これができて初めて、自分の思いを放つ先を
しっかり見ることができるんですね。

そうでないと、目をつむってやみくもに
見当違いの方向へ適切でない投げ方を
してしまいます。

よく、自分の言うことが伝わらないという思いを
抱いている方を見かけますが、大抵は自分の内に
諸々の混乱があって、正しく自分と相手を
捉えられていないのです。

伝える表現は、する側と受け取る側があって初めて
成り立ちますから、双方がしっかりと触れていないと、
うまくいかないんですね。

それは、日常の会話から音楽や絵画、舞踏などの
あらゆる芸術でもそうです。

触れ合ったときに伝わる。

だから、触れることを恐れていては、
伝えられないし受け取れないんです。

私たちは、心の奥底では本当に触れ合うことを
求めているのに、その本当の望みを恐れていたり
します。

けれど、いずれはこの恐れを超えていかねばなりません。

そろそろ、肚を括りますかね。(^^)

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