6月はご先祖様をテーマの講座でしたが、
ご本人の様々な生きにくさを辿っていくと、
結構家系的なエネルギーの滞りが
関係していることってあるんですね。
そんなことあるのか?結局自分でしょ、
と思われるでしょうが、まぁ自分は自分
なんだけれども、
家系全体を見渡すと、確かに同じ質の
エネルギーのパターンがあちこちに
あって、個人の問題だけじゃないよな~
って私には見えることもあるのです。
じゃぁ先祖供養をすればいいのか、
というと、ただやればいいんじゃなくて、
やり方の問題があるなと。
私は宗教家でもないし、そちら方面の
専門家ではないのであくまで
感情のエネルギー的に見た私見
を述べるとすれば、
供養の目的は何か?ってところの
本義を外してはいけないだろうと
思うのです。
なぜ供養をするのか。
ヒーリング的に言えば、
苦しい思いをされたご先祖様の
苦しみを安らかにして差し上げることで、
今を生きる自分たちの安寧を求める
わけですよね。
先祖の苦しみの念は、
確かに今を生きる私たちの心身に
影響があると私は見ています。
考えてもみれば、亡くなった方だけではなく、
苦しんで生きている人が側にいれば、
その思念エネルギーは周囲にいる人たちに
影響を及ぼさざるを得ません。
亡くなった方は、見えない分だけ、
その実態が埋もれやすいので
気づきにくいということは
あるでしょう。
いたずらに恐がることはありませんが、
ちょっとした意識の向け方で、
随分ご先祖様も浮かばれることが
あるのではないかな、と思うのです。
基本は生きている人に対する心遣いと
同じですね。
辛そうにしている人がいれば、
ちょっと気にして、できることがあれば
そっと手を差し伸べてあげる。
あなたのその辛さ、気づいているよ。
無理しなくていいからね、
と声をかけてあげるとか、
ほら、おいしいものが手に入ったから
おすそ分け(^^)とか、
花がきれいに咲いたよ、
今日の空はこんなにきれい。
一緒に観ようよ、とか。
大したことをしなきゃいけないわけではなく、
そんなささいな気持ちの共有、心遣いで
ものすごく楽になることがある。
そういうことで十分だったりする
ケースもあるんです。
自分が苦しんでいるときに
誰からも気にかけてもらえず、
見捨てられ、打ち捨てられることほど
辛いことはないですからね。
ほんのちょっと、気にかけてもらえただけで
どん底の辛さも持ちこたえられるかも
しれない。
それがあるのとないのとでは、
雲泥の差です。
あなたの人生にも、
誰かのあの一言があったから
道を踏み外さないで済んだ、とか
あの人がいてくれたから、
何とか生き抜いてこられた、とか
そんな経験ありませんか?
気負うことなく、そんなちょっとした
意識をご先祖様に向けていけたら
と思うのです。
今のあなたと同じように、ご先祖様も
依存しちゃいけない、と頑張りすぎて
抱え込んでドツボにはまっちゃったり
したのかもしれません。
でも、その人生にも、助けてもらう学びも
あったかもしれないと思うんですよね。
依存しないで自分の責任を引き受ける学びと
それは車の両輪のように、どちらも
マスターすべきものです。
清々しい気持ちで人の助けを受けるには、
自分の責任の領域をしかと認識し、
それを引き受けていることかな、
なんて思ったりします。
まぁ、ストーリーに飲み込まれて
何でもいいからすがりたいときは
なかなか見極めがつかないんですけどね。
ご先祖様がクリアできなかった学びを、
今あなたが再び家系を代表して
チャレンジしているところ
なのかもしれませんね。
「あなたもチャレンジしたんですね~。
いや~、めっちゃ難しいですよね、
わかりますよ~。いま死にそうですもん、私!
ま、ぼちぼちやりますわ~(^^; 」
みたいな会話、ご先祖様とできるかも。笑
他者の痛みに心を寄せるには、
まず自分が自身の痛みを引き受けることです。
自分が自身の痛みから逃げていたら、
他者の痛みに触れるなんて、
飲み込まれてしまうような恐怖で
とてもできないでしょう。
セッションなどでご先祖様のワークを
するときは、自分自身の中に流れる
思いを通してご先祖様にアクセスしますが、
どんなにこじれた御霊も、
その元をたどれば耐え難い感情なんですよね。
愛されなかった
認められなかった
裏切られた
大事にされなかった
酷いことをされた
見捨てられた
などなど。
表面的な、荒ぶる姿を見てしまうと
腰が引けてしまいますが、
その奥にある傷ついた気持ちに対して、
敬意をもって花一輪でも手向ける思いが
あるのなら、
その思いは必ず通じて、
たくさんの理不尽で惨めなストーリーの
中で生まれた無数の痛みを癒します。
あなたは、家系に受け継がれたチャレンジを
クリアする最初の人になるのかもしれません。
まさに、英雄ですね!
未来の英雄たるあなたの歩みに
恩寵が満ちますように。