ヒーリングや自己啓発を受ける方の
多く、というかほぼ全ての人は、
現状の自分よりも「より良く」なりたいと
思ってその門を叩きます。
「より良く」なるためには「今の自分」
じゃダメだ。だから「変わりたい」と
どこかで多かれ少なかれ思っていますね。
でも、その言葉の裏には、しばしば
「自分の思うような方法で」
っていう言葉が隠れていることがあります。
ここが結構問題で、それはもちろん、
セッションを受けるためにかかる費用だとか
時間だとか諸々も労力との兼ね合いも
あるでしょうが、それ以上に
「ここから先は触れたくない、
ここは変えたくないけれど、それでも
最高のコスパで『より良い』現実を
実現する方法で何とかしたい」っていう
意図があったりします。
極端な例を挙げると、
「自分が悪者になるのは絶対に避けたい。
けれどもそうならないようにしながら、
人間関係をもっと円滑にしたいんだ。
相手に責められるのはプライドが傷つくし、
何とか穏便に許してもらいながら、
良い信頼関係を築けたらいいな」
みたいな感じでしょうか。
無理ですよね!爆
そう言う心根だからこんな状況が
現れてきてるんだから、
その一番避けようとしているものを
ガチで引き受けないと、
変わらんでしょ~!
って思うわけです。
あくまでこれは極端な例ですけどね、
ものすごくデフォルメして表現してみると、
よくわかるでしょう。
毎回セッションをしながら、
この方はどこまで自身の築いた制限を
崩せるかな~と、瞬間瞬間探りつつ
進めていますが、
根本的に「触れたくない」と閉じている
ところがあると、変容はかなり
難しくなります。
それは、部分ではなく全体で起こるもの
ですし、最も苦しみを生み、対処を必要と
しているはずのところに手を付けられない
ということは、結果は推して知るべし、です。
本人の自覚としては、深い覚悟をもって
向き合おうとしているつもりであっても、
しばしば頑として動かない抵抗に遭うことも
珍しくはありません。
こういう場合は、自覚と実際が大きく乖離
しているということ自体に、見るべきものが
あると言えるかもしれません。
心の問題にそれなりに取り組んだ経験の
ある方なら誰しも、多かれ少なかれこうした
表層意識と深層意識の方向性の乖離に
難儀したことがあるのではないでしょうか。
これを対立の構図ととらえてしまうと、
ますます両者の溝は深まり、
抵抗は激しくなります。
そこを上手にさばいていく必要がありますね。
そもそも、こうした対立が起こるのは、
大抵「エゴの思うとおりに進めたい。
それ以外のやり方は聞きたくない」って言う
独裁に走っているときに良く起こります。
なぜ対立する声を寛容に聞くことが
できないのか。
そこには必ず「恐れ」があります。
もし聞いてしまったら、
自分の願いが実現できなくなってしまう。
この苦しみから脱出できなくなってしまう
などの恐れです。
だから、聞きたくないし、聞く必要もない
と耳をふさぐわけですね。
あなたの周りにこういう人、いませんか?
「そんなんだからうまくいかないんだ!
もっと人の話を聞いて、話し合えば
うまくいくこともたくさんあるのに」
そんな風に思ったりもするんじゃ
ないでしょうか?
その意見はすべて、自分自身に向けた
アドバイスになりますね。
あなたの内側がそうだから、
自身の現実にそれを映した独裁者を登場させて
見せてくれているわけです。
色々な意見を聞いていたら、
軸がぶれて自分を見失ってしまうっていう
意見もありますけれど、聞いてもそれを
取りまとめて采配を振るう手腕がないから
聞けないってこともありますよね。
ワークをするときいつも心掛けているのは
「最も聞きたくない声をこそ、聴く」
ということです。
聞けない状態であるのなら、
恐れを統合したりして
まず聞ける状態に整える。
しかるべきのちに、
膝突き合わせて、飲み込んでいた言葉も
全部吐き出せるように、遺恨のないよう
心の内が完全にクリアになるまで
対話をする。
こういうことをしていくと、
「都合の悪い声」なんてなくなります。
むしろ、そういう声こそ拾う必要が
あるのであり、行き詰った状況を打開するカギ
があったりすることにしばしば気づくわけです。
だから、「都合の悪い声こそ聴ける器」を
育てていきたいと思うのです。
こうして表層意識と深層意識の乖離を解消して
いくと、どうしても譲れなかったプライド
とか恐れがそれほど気にならなくなり、
今まで選択肢にも上らなかった可能性が
容易に見えてきます。
都合の悪い現実が消えればいいのではなく、
なぜそれが起こっているのか?という
人生からの問いかけに応えるのが
癒しと変容の道だと思うのです。