最近、無意識に自身にかけた制限に
気づくことが色々とあるのですが、
些細なことながら、その上限を上げる
ことをちょっとずつやっています。
一度に外すのはまだ私には難しいな
と思うので、すぐにできることから
始めているわけです。
たとえば、つい最近だと
普段使っている化粧品やヘアケアの
値段を上げたのですが、
これは上げようと思ってやったわけではなく
気になる商品を試していたら
結構上げてたな~って感じなのですが。
ちょっと前の自分だったら、
多分こういう風にお金は使わなかったかも。
でも心も体も喜んでいる感じはします。
また、人のために使うお金も
惜しまず使うよう、より意識しました。
たとえば、先日の母の日のプレゼントや
寄付なども、金額を上げたり。
それから、時間の使い方で、
今までは隙間時間があれば少しでも
有用な使い方をするように、と自分を
駆り立てていたところもまだ若干
残っていたのですが、
思い切り寝るとか、徹底的に好きなこと、
やりたいことしかしないと決めて、
一切義務に感じることはしない時間を
持ってみました。
これはかなり良かったですね~。
しらずに溜め込んでいた疲れが随分
楽になり、気持ちも軽くなりました。
これも、今まではずるずる
やりたいことの合間に義務を挟んで
やってましたね~。
「今はやりたくないからやらない!」
をもっと徹底して自分に許すように
していこうと改めて思いました。
案外その方が時間を有効に
使えているようです。
お金も、好きだからそれに使う
っていう使い方をしていた方が、
かえって無駄遣いしない感じです。
こんな風に、やりたいからそうする
っていう軸で自分の行動を見直してみると、
今までいかに抑圧していたかが
よくわかります。
感情を抑圧しないっていうことは
随分気を付けていましたが、
自分のニーズ、欲望を抑圧することは
まだまだやっていますね。
いかに欲望と付き合うか。
野放しにしてもいけないような気もするし、
でも抑圧ばかりしていても何か
違う気がする。
かと言って、中途半端に手綱を緩める
っていうのも微妙。笑
欲望も感情と同じで、何かうまく付き合う
丁度いい方法があるのでしょうね。
言葉の感覚だと、個人的には
欲望だとちょっと危険な感じもするけれど、
欲求(ニーズ)だと必要で応えてあげなくちゃ
いけないもの、というニュアンスの違いが
あるかな。
いずれにせよ、どちらもマスターして
しかるべきものなんだろうと思います。
感情と同じで、それらもそれ自体が
悪なわけではありません。
それを表現する部分で、
もっと軽やかで洗練された
自分なりのやり方を見つけたいな
と思っています。
貪欲であることは、「貧」の字が
入っていることからも察せられるように、
浅ましいとか見苦しいとか、あまり
良いイメージでとらえられることは
少ないかもしれません。
けれど、欲望も実は生きる力の表われの
ひとつなんだろうと思うのです。
たとえば、研究者が自身の研究分野について
あくなき探求心をもって貪欲に知識を
吸収するとか、
スポーツ選手が自身の最高の
パフォーマンスを出したいと思う欲望。
職人さんがまだ誰も見たことのないような
作品を生み出したいと思う衝動。
役者が演技の新境地を開いて
自身の可能性を広げていきたいと思う欲望。
その欲望を真っすぐに追究した人こそが、
自分だけの命を燃焼させられるのでしょう。
だから、欲望を抑圧すると、
生命の輝きのようなものも弱くなって
行ってしまうような気がします。
最近では、クールでスマートな人が
多くなって、欲望でギラギラしたオーラを
放つ人も少なくなっているような気も
するのですが、どうなんでしょう。(^^)
「ねばならない」「こうすべき」
というところをいくら実践していても、
多分その方向性では本当に自分の人生を
見出すことはできないんだろうと
思います。
自分の深いところから抑えようもなく
湧き出てくる欲望は、そう考えると
自身の人生を創造していく導きそのもの
と言えるかもしれません。
もちろん、身の破滅に導くような
欲望の暴走には適切ではないと思いますが、
その辺りはこの文章の趣旨ではないと
ご理解いただけると思います。
そんなこんなで、いかに自身の欲望を
育て、それとうまく付き合っていくか
みたいなことをつらつらと考える
今日この頃でした。