様々な方のワークを拝見していて
根っこのところで
「支えられている安心感がない」方を
よく見かけます。
私自身も以前はこういう傾向があったので
とてもよく分かるのですが、
この宇宙(世界)を信頼できないので
「自分が頑張らなくちゃ!」と
いつも我力でガツガツしていないと
不安なのです。
頑張るのを止めたら沈んでいく、
生きていけない、ダメになってしまう
と信じているんですね。
だから、どんなにリラックスしようと
思っても、芯の緊張が抜けず、
いつもどこかで気を張っています。
我力で頑張ってしまうと、
宇宙のサポートの流れにうまく乗れず、
結局ガツガツする割には大した結果を
得られなかったりします。
本当はもっとゆったりと委ねて
のんびりしていればちゃんと
うまく回っていくはずなのに、
ガツガツ動くので却って受け取れなく
なってしまうのですね。
たとえるなら、川で溺れそうだと
ジタバタしていて、そばに浮いている
浮き輪を取ろうとするけれど、
もがけばもがくほど浮き輪は遠くに
行ってしまう、みたいな感じです。
なぜそんなにも我力で必死になって
しまうのかと言えば、何らかの原因で
心の中が不安と焦り、恐れなどで一杯
になっているからです。
幼い頃に色々な事情から淋しい思いをし、
守られている実感を得られなかった
のかもしれないし、
人生のどこかで守ってくれていたはずの
存在を失ったり、大切な支えを失った
経験があったのかもしれません。
誰しも、多かれ少なかれこんな体験を
しているだろうと思いますが、
守られている実感が乏しい方は、
自分を振り返ってみて、
淋しく、心細い思いをした当時の
自身の気持ちを抱きしめに、
お迎えに行ってあげるといいと思います。
自分もいい大人だし、当時は当時だと
割り切っていても、案外深いところで
そんな時代の辛さが人生に結構
影響していたりします。
ワーカホリックに仕事をしてしまうとか、
恋愛依存症の傾向があるとか、何らかの
あまり健全ではない傾向に気づいているなら
多分、癒されないままに時を止めた
気持ちのカケラ君がいるのだと思います。
私自身、誰も助けてくれない、
自分がしっかりしなくちゃ、
誰も信用できないし頼れない、
と思っていたころは、友達はいても、
いつも世界に自分が独りぼっちで
いるような気がしていました。
あれから自分に向き合い続けてきた中で、
何度も恩寵を感じる体験を重ねて、
自分一人じゃないんだなぁ、と深く実感
するようになって、随分と芯の緊張が
抜けて来たな、と思います。
支えられている実感がない方の多くは、
親子関係にわだかまりを持っている
ケースが多いですね。
家庭の事情でそうならざるを
得なかったこともあるでしょうし、
代々受け継いだ家系の癖のようなものも
あるかもしれません。
そうした痛みを伴う関係性について、
ピシャリと心を閉ざすだけでは
苦しい時のまま、時間を止めている
ようなものです。
そういう家、両親を選んで生まれて
きていることを思えば、そこにこそ
人生の一つの目的、チャレンジが
あると言えるでしょう。
なぜわざわざそんな家を選んで
この世界にやってきたのか。
まさにその苦しみを体験するために。
今度こそ、その苦しみを愛に転換する
チャレンジを達成するために。
怒りと恨みと憎しみしか見えないような
状況にも、深く隠された気づきと
学び、愛があります。
それは簡単には見つけられないかも
しれません。
本当に深く深く見ていかないと、
見えないものだからです。
不幸な境遇に生まれたことを
呪い続けていては、自ら設定した
課題に向き合うスタート地点にも
立てません。
自分が生きている意味とは何なのか。
本当にここにいてもいいのか。
自分は何をしにここに来たのか。
誰しもが人生で一度は抱く問いの答えは
しばしば人生で最も避けているものの
中にヒントがあったりします。
楽しいこともあれば、しんどいことも
あるし、時には心が石のように固くなって
どうにもならないこともあるけれど、
生き延びて、焦らず、諦めず、
問い続けて見ればいいと思うのです。
ただし、ことさらに自分自身で
人生を深刻に捉えすぎないように。
今この瞬間、どんなに辛くても
あなたの周りには美しいものや
素敵なものがあります。
自分自身にこの世の喜びを楽しむことを
禁じることなく、愛でていくことも
忘れずに。
美しさや喜びは、心の栄養であり
呼吸ですから。
あなたの人生が、豊かなもので
ありますように。