古来より
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
とか、
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
とか、現象界のものごとは生々流転、
一時も同じではなく変化していくもの
と言われていますが、
毎日、同じような日常を送っていても、
一日として同じ日はなく、
しかもそれは外的な世界のことだけにとどまらず、
自分自身の内面についても言えることです。
常に移り変わるにも関わらず、
それでも「これが自分」と認識している
要素があったりします。
得意なこと、苦手なこと、
好きなところ、嫌いなところ、
わかってほしいこと、隠しておきたいこと、
ずっと忘れずにいたいこと、忘れてしまいたいこと
などなど。。。
そうした無数の要素によって、
「私」と認識しているアイデンティティが
形作られています。
常に変化している揺れ動く無数の要素の中で、
そうしたものは瞬間瞬間、「変わらないもの」
のように、ずっと継続して認識され続けています。
毎瞬、同じではないはずなのに、
私たち自身がそれを認識し続けることで、
それは「変わらないもの」のように
生きながらえている、と言えるかもしれません。
そうしたものの中でも、変えていきたいことに
注目したとき、それをどのくらいのペースで
どうやって変えて行けるのかは、
実は外的な要素で決まるよりも、
自分自身で決めていけること、
なのではないかな、と思うのです。
急に変化するのが恐い人もいるし、
あまりに速いペースだと自分の意識が
ついていけない場合もある。
あるいは、今はちょっとタイミングじゃないから
変化したくないって人もいるでしょう。
それぞれに、それぞれの都合があり
背景がありますね。
それは尊重するとして、
でも単純に時間をかければいい、
というものでもないときはあるし、
タイミングを延ばし延ばしにして
埒が明かない時もありますね。
あまり自分でいじくりまわさない方がいい
という考え方もありますが、
自分で先にボールを放ってしまって、
あとからつじつまを合わせるように
その落下地点に走り出す、みたいなやり方も、
アリと言えばアリなんだろうな、と思うのです。
まぁ、いずれにせよ結果は自己責任で
引き受けなければなりませんけれどね。
本当は、私たちが認識している
この自分を含めた世界が毎瞬
「もとの水にあらず」なのであれば、
今この瞬間に先ほどまでとは全く違った
自分を創造できるはずです。
そのためには、毎瞬新たに生まれている世界を
本当に見なければいけないでしょうけれど、
大抵の場合、私たちは「さっきと同じ」と
ぼんやり見て認識している世界しか
生きていないので、変えることがとても
難しかったりするのだろうと思います。
世界は今この瞬間、この瞬間、この瞬間、
常に新たに生まれ続けている。
そんな世界の創造の瞬間に立ち会うつもりで
毎瞬を生きていたら、
毎瞬新たに生まれる自分自身を新鮮な気持ちで迎え、
みずみずしく生きられるような気がします。
必ずしも、昨日の出来事に引きずられなくていい。
過去の誓いや選択に制限されなくていい。
今この瞬間に、この自分の在り方を自分で選び
決められるのだとしたら、あなたは何を変え、
何をこの現実に生み出すでしょうか。
今この瞬間に、存在のあらゆるレベルのズレが
非常に少なくいられる状態の時、
その意志がすっとその存在を貫いて
通るときがあります。
それは変えたい自分を否定して抑圧することではなく、
その意志を体現した自分をこの瞬間に、
まさに「創造」しているんですね。
ときにはそれをするときに、
ピタリと定まらなくて色々なところが
引っ掛かったり抵抗を感じることもあるのですが、
丁寧にそれらを調整していくと、
さほどかからずに引っ掛かりのない状態に
移行することができます。
ただこれを、今の自分の否定からやろうと
してしまうと、うまくは行きませんし、
そもそも今この瞬間にいる状態ではないので、
新たな自分を「創造」できる状態にありません。
そう考えてみると、新たな自分を生み出せる
フィールドというのは、常に「今この瞬間」
なのだということがわかります。
本当に深くぴったりと今この瞬間にいる
ということはなかなか難しいかもしれませんが、
そこに寄せていく努力はできるでしょう。
私の感覚だと、自分の存在の様々なレイヤーが
ズレている状態の時は、今この瞬間から
大きくずれたところにいる感じがします。
たとえば、頭ではこれをやろう!と思っているのに
深いところで抵抗しているときは、
自身の内部で分離していて、レイヤーがズレている
感じがするわけですね。
こういうときは非常に居心地が悪く、
心が落ち着きません。
でも、色々調整をしてこのズレが修正されると、
ストン!と自分が整った感じがして
エネルギーの流れも滞りありません。
この状態だと、頭で思うことと
深いところで思うことの矛盾がないので、
ひっかかりもなく、一致した方向性で
自身の意図を表現できるというわけです。
自分が矛盾なく、今この瞬間で新たな自分を
創造できるのは、こういうときだろうと思うのです。