怒りって、なかなかに難しい感情だな、
と思うことがしばしばあります。
怒り自体、社会的にも「良くない感情」って
言われることが多いですし、
八つ当たりして人を傷つけたり、
自分が気まずくなったりして
結局嫌な思いをしたりするので、
どうしても良いイメージは持ちにくいものです。
怒っていると
みっともないとか、そんなに怒るんじゃないの!
とか言って親にたしなめられたり、
みんなと仲良くしなさいとか言われて
自分の気持ちは宙ぶらりんのまま、
形だけ仲直りさせられたり
なんてこともあったかもしれません。
とにかく、怒りは良くないものだ。
だから表してはいけないし、
怒っている人はみっともない人なんだ
とか思っている方も少なくありません。
でも、感情解放ワークでも常々お伝えしているように、
怒りを含めて、どんな感情もそれ自体が悪である
ということはありません。
ただ、私たちがうまく扱えずに
こじらせてしまうことが多い感情は良くないって
レッテルを貼ってるだけなんですね。
ということは、適切に扱えれば、
何の問題もないわけです。
怒りに対して、抑圧の強い方は、
何かしらご自身で怒りに関する失敗があったり、
あるいは、
身近な人の強烈な怒りの表われを見て
恐怖を感じたとか、ものすごく嫌悪感を感じた
といった体験をされています。
たとえば、過去世で怒りに任せて人を殺したとか、
仕事中に怒りを暴発させて左遷されたとか、
大切な友人やパートナーを失ったとか。。。
または、父親がしょっ中、怒りを暴発させて
家族が戦々恐々として過ごしていたとか、
母親のヒステリーがひどかったとか。
その抑圧の奥には、そうした様々な体験が
背景として存在します。
だから、怒りへの抑圧を解こうと思ったら、
それらの体験の中で感じたあらゆる感情を
統合していかなくてはなりません。
恐怖、ショック、悲しみ、絶望感、惨めさ、
無力感などなど。。。
辛いかもしれないけれど、
長いこと封印してきたそれらの体験の記憶に
触れて行く必要があるのです。
その封印の奥には、
時間を止めた感情があの時のまま、
時間を止めて今この瞬間も生きて
苦しみ続けています。
その気持ちのカケラ君たちに、
救いの手を差し伸べるんですね。
どんなサポートを受けるにせよ、
苦しみ続けている自分を救えるのは、
最終的には自分なんです。
ヒーラーやセラピストは、
救いの主体ではありません。
ワークではよく言うのですけれど、
抑圧された感情のカケラ君たちは、
最も辛い思いをしているときに、
自分自身に見捨てられてしまった存在なんですね。
そうして、カケラ君たちは
誰も助けてくれない。
自分なんていない方がいいんだ。
生きていても仕方がない。
と、深い絶望と悲嘆に暮れます。
そのカケラ君たちの気持ちが、
自身の日常の「気分」として滲み出してくるのです。
その思いは、
自分が自身を見捨てているがゆえに
起こるのです。
だから、かつて自分が見捨ててきた
辛い気持ちのカケラ君たちのところに戻って
寄り添い、癒しを送って見捨てないでいたら、
それらの思いは嘘のように消えていきます。
他の誰にやってもらうのでもなく、
その癒しの効果は、自分が自身を救ったときにだけ
起こるのです。
怒りを極端に抑圧し、恐れ、怯える人たちの中には
少なからず強烈な虐待の体験があったりもします。
なかなかにその体験に向き合うのは
勇気の要ることですが、少しずつでも
今の自分にできる範囲で封じられた感情を
解き放ってあげることが大切です。
怒りの感情にまつわる被害者と加害者の間にも、
「鏡の法則」は成立します。
セッションでは、まず被害者としての
自身の体験を統合し、その次に加害者の意識に
入って加害者の痛みを統合する、
という手順を踏みます。
加害者なのに何の痛みがあるのかと思う方も
あるかもしれませんが、怒りは何かしら
気持ちが傷ついたときの二次的反応で起こります。
怒りの奥には、とても傷ついた気持ちがあるのです。
つまり、怒りは手負いの猛獣のような状態だと
イメージされるとわかりやすいでしょう。
傷ついていなければ、あんなにも凶暴に
怒ったりはしないのです。
その猛烈な痛みに我を忘れ、暴れ狂っているのが
あの度を越した凶暴さなのです。
そして、その痛み故の凶暴さと全く同じものを、
被害者自身も持っています。
ただ、あっても表現の仕方が正反対なのですね。
加害者は他者にそのエネルギーを向けるけれど、
被害者は自身に向けます。
方向性は違うけれど、持っているものは
寸分たがわず同じものなのです。
だから、それらが引き合って、
その残酷な出来事が起こる。
どちらの立場にせよ、
自身の現実にそうした出来事があるのなら、
その根っこをしかと受け止め、癒し、
怒りをマスターしなければなりません。
強烈な体験がある方ほど、
多分、その方の人生において、
そのことは魂の計画の重要なテーマである
だろうと思います。
必要な人に届きますように。