何かをするときに、どうしてもタイミングが
合わなくてできない時って、ありますよね。
行きたいと思っているのに行けなかったり、
会いたいと思う人に会えなかったり。
でも、何の努力もなく向こうからチャンスが
飛び込んでくるようにするっとできてしまう。
不思議ですね~。
何度トライしても叶わない時と言うのは、
やはり何か在り方が違うんだと思います。
その自分、その動機じゃだめなんですね。
きっと。
私も、ここ数年、母を旅行に連れて行って
あげてなかったので、どこかに連れて行って
あげないと申し訳ないな~と思い、
2回ばかり旅行を計画したのですが、
いずれも流れてしまいました。
ただ、申し訳ないという罪悪感から焦っていた
というのもあったのですが、
自分が本当に行きたい場所は、
母と行くと結構ブロックされることが多いので、
取り敢えずどっか連れて行っておけばいいか、
みたいなぞんざいな考え方で(母よ、すまん!)
適当に申し込んだツアー旅行がいずれも
流れちゃったんですね。
うん、確かに動機が悪い!笑
で、3度目の正直で、今度は私が本当に行きたい
ところで、どうしても母を連れて行ってあげたい!
と心から思えたところに旅行を企画したところ、
あっさり日程が組めてしまいました。
やっぱり、自分がそれをしようと思ったときに、
どういう心持ちでいるのかって
すごく大事ですよね。
特に人をお誘いするとき、
相手にとっても有意義な時間になるかどうか
っていうのも、大切な要素だと思います。
そう考えたときに、イメージの中で
相手も自分も有意義な満ち足りた時間を
過ごしているイメージでないのなら、
動機を正した方がいいと思います。
パートナーと過ごす時間もそうですし、
私の場合も母に楽しんでもらうために
旅行に誘ったのですから、
何より、母が喜んでくれなければ
意味がありません。
楽しいことだけじゃなくて、
相談事や頼みごとをするときも、
相手の方が喜んで力を貸してあげたい!
って思えるような在り方を
自分がしているかどうか。
これは自戒を込めて思うことではあるのですが、
相手の方があなたの頼みを聞いてくれるためには
それなりの時間と労力、お金がかかっている
ことかもしれません。
ほんの些細なことに思えても、
実はその人にとっては思う以上に
大変なことだったりするかもしれないのです。
その時間と労力を使ってもらって、
それに見合う意義を、自分の中に
作り出せるのかどうか。
わざわざ相手のエネルギーを頂くのだったら、
自分の中にそれくらいの意義がなければ、
失礼というものです。
一時の気休め、マスターベーションのために
相手の人生の時間を貪らないように。
かといって、必要以上に相手のことを思いすぎて
自分がおろそかになるのは本末転倒で、
一緒に時間を過ごすなら、
互いに有意義でないと、つまらないですよね。
これ、あらゆる関係性に言えることだと思うのですが、
プライベートだけではなく、仕事関係でも
すごく大事、というか、この視点が無かったら
仕事になりません。
たとえば、何かを売る会社の人が営業に来たとして、
「今月○○個これ売らないと、営業成績
落ちちゃうんです!」とか言われたとしたら、
どうでしょう?
「は?あなたの成績なんて知ったこっちゃないし!
なんでこちらがあなたの成績のために
協力しなくちゃいけないの?」ってなりますね。
ほっぽどの信頼関係を既に築いてるなら
よし、ってこともあるかもしれませんけれど、
自分の都合のためにお客さんを使うのは、
商売としてはアウトですね。
お客さんにどれだけの価値を提供できるか。
自分の人生にとって、その価値の提供が
どれだけ有意義なものであるのか。
これ、ギヴ&テイクとかウィンウィンの関係とかの
「取り引き」とはちょっと違う次元のところが
結構大きいんじゃないかと思うのです。
取り引きだと、何かメリットがないと
そもそも俎上にも上りませんけれど、
取り引きできそうなものが何もなくても
それでもいいから助けになりたい、
買ってあげたい!って思える、
気持ちを掻き立てる何か、がカギかなと。
取り引きのレベルで考えていたら、
いつまでもその枠組みの中で
メリットがなくなったら終わり、
の関係性ですけれど、
今の時代、
人はそれ以上の何か熱とでも言うようなものを
敏感に感じ取って行動の動機にしているような
気がします。
話は大分それてしまいましたけれど、
思いつくままに、自戒と気づきのメモとして
書いてみました。